決して物理的な大小の話ではなく。
ちゃんと手首を返して
撥を上げて
下ろす。
ということを意味している。
きれいな音を出したい
ということに拘りすぎると
知らないうちに撥をほとんど上げずに弾いている。
きれいな音も必要やけど、
そればっかりではアカン。
基本は大きい撥。
というのが、義太夫の師匠によく言われること。
でも、これは義太夫に限らず、
たとえば津軽を弾くときにも意識できること。
私もいろんな三味線をやってるので、
混乱しないの?とかよく訊かれますが、
もうだいぶ慣れました。
そして、こんな風に、ジャンルは違えど通じることが結構あるので、
思いがけない気づきがあったり
良い循環が出来ている部分もあります。
もちろん、しんどいこともあるけど。
とりあえず今日は撥を意識して津軽を弾き込んだら、
手が痛い。
ちゃんと手首を返して
撥を上げて
下ろす。
ということを意味している。
きれいな音を出したい
ということに拘りすぎると
知らないうちに撥をほとんど上げずに弾いている。
きれいな音も必要やけど、
そればっかりではアカン。
基本は大きい撥。
というのが、義太夫の師匠によく言われること。
でも、これは義太夫に限らず、
たとえば津軽を弾くときにも意識できること。
私もいろんな三味線をやってるので、
混乱しないの?とかよく訊かれますが、
もうだいぶ慣れました。
そして、こんな風に、ジャンルは違えど通じることが結構あるので、
思いがけない気づきがあったり
良い循環が出来ている部分もあります。
もちろん、しんどいこともあるけど。
とりあえず今日は撥を意識して津軽を弾き込んだら、
手が痛い。