昨日は上方唄で舞台の下浚い、
今日は義太夫のお稽古。
ちらちらとブログでは書いてたような気もしますが、
実はわたくし、もう5年くらい?
義太夫三味線のお稽古もしております。
義太夫の三味線はずっと憧れで、
文楽を観に行っても常に目の端で床を見てる状態。
義太夫の音色の幅の広さは、ちょっと他のジャンルにはない。
色っぽさもあれば、強烈な強さもある。
とはいえ、年に数回の舞台を見てるだけでは
なぜあの音が出るのかなど分かる筈もなく、
念願かなってお稽古に通い始めて
その秘密を少しずつ学んでいるのですが、
知れば知るほど、奥深い。
正直なところ、
津軽三味線など遠く及ばない世界だと思う。
だからこそ、学びたいと思っている。
津軽三味線が常に新しいものを求めるのなら、
そのヒントを洋楽器に探すより先に、
同じ三味線の別のジャンルから盗めるものが山ほどあるはず。
私はそう思っている。
津軽らしくない、と言われたって構わない。
それよりも、三味線らしさを失わないでいたいと思う。
今日は義太夫のお稽古。
ちらちらとブログでは書いてたような気もしますが、
実はわたくし、もう5年くらい?
義太夫三味線のお稽古もしております。
義太夫の三味線はずっと憧れで、
文楽を観に行っても常に目の端で床を見てる状態。
義太夫の音色の幅の広さは、ちょっと他のジャンルにはない。
色っぽさもあれば、強烈な強さもある。
とはいえ、年に数回の舞台を見てるだけでは
なぜあの音が出るのかなど分かる筈もなく、
念願かなってお稽古に通い始めて
その秘密を少しずつ学んでいるのですが、
知れば知るほど、奥深い。
正直なところ、
津軽三味線など遠く及ばない世界だと思う。
だからこそ、学びたいと思っている。
津軽三味線が常に新しいものを求めるのなら、
そのヒントを洋楽器に探すより先に、
同じ三味線の別のジャンルから盗めるものが山ほどあるはず。
私はそう思っている。
津軽らしくない、と言われたって構わない。
それよりも、三味線らしさを失わないでいたいと思う。