京都市の地図を思い出しながら、考えていただきたい。
この道標は、三条通りにある標柱と石柱です。
京都の方は、よほど頭が良いのでしょうね。
この標柱が理解できるのですから。
ボクは余程頭が悪いのでしょう、理解できませんでした。

①「史跡 五条別れ道標」と書かれています。
石碑には、
②「右ハ三条通り」
「③左ハ五条橋 ④ひがし にし 六条大仏道」
⑤今ぐ満(ま)きよ水道」
と書かれています。
①は五条大橋への分岐点として、五条大橋へ別れて行く分岐点としての道標が、
史跡になっています。という標柱です。
次が問題です。
(五条大橋です)
(五条大橋袂の牛若丸と弁慶の像)
弁慶が夜な夜な出没して、武士の刀を集め、
いよいよ集めた刀が千本目になる時、牛若丸が通りかかる。
「あと一本で、千本だ。」と言って、牛若丸におどりりかかると、
身軽な牛若丸は、橋の欄干を左右にひらリひらりと、
弁慶のなぎなたをかわすシーンが像になっている。
この五条大橋の位置を頭に入れて考えて欲しい。
②「右ハ三条通り」
③「左ハ五条橋」 は文字通りの解釈で良い。
④「ひがし にし 六条大仏道」これが理解し難い。
(東へ行っても、西へ行っても 六条大仏への道)と読める。
正解は、(東・西本願寺の六条は(左ですよ)、
大仏のある方広寺の道も(左ですよ)
と言う意味らしい。
ここで「ひがし にし」が問題になる。京都の人には、
「ひがし」=おひがし=東本願寺
「にし」=おにし=西本願寺
なのである。ボクには、あるいは旅人には、
「ひがし にし」は東西南北の西、東でしかない。
⑤「今ぐ満(ま)きよ水道」これについてはさっぱり解らなかった。
京都の人には、「今ぐ満(ま)」は今熊野観音寺、
「きよ水」は清水寺への道(は左ですよ)と解釈するそうだ。
きっと(今ぐま)は「く」が濁点になっているところで、判断するのであろう、
(いまぐまかんのんじ)と読むらしい。
それにしても、京都の人は解るが、道標などと言うものは、
京都に詳しくない人が頼りにする物であるから、
何時間もかかって理解できるようでは、何の役にもたたない。
役にたたない例としての、史跡ならいざ知らず、
どうかと思いますね・・・・
この道標は、三条通りにある標柱と石柱です。
京都の方は、よほど頭が良いのでしょうね。
この標柱が理解できるのですから。
ボクは余程頭が悪いのでしょう、理解できませんでした。
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①「史跡 五条別れ道標」と書かれています。
石碑には、
②「右ハ三条通り」
「③左ハ五条橋 ④ひがし にし 六条大仏道」
⑤今ぐ満(ま)きよ水道」
と書かれています。
①は五条大橋への分岐点として、五条大橋へ別れて行く分岐点としての道標が、
史跡になっています。という標柱です。
次が問題です。
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弁慶が夜な夜な出没して、武士の刀を集め、
いよいよ集めた刀が千本目になる時、牛若丸が通りかかる。
「あと一本で、千本だ。」と言って、牛若丸におどりりかかると、
身軽な牛若丸は、橋の欄干を左右にひらリひらりと、
弁慶のなぎなたをかわすシーンが像になっている。
この五条大橋の位置を頭に入れて考えて欲しい。
②「右ハ三条通り」
③「左ハ五条橋」 は文字通りの解釈で良い。
④「ひがし にし 六条大仏道」これが理解し難い。
(東へ行っても、西へ行っても 六条大仏への道)と読める。
正解は、(東・西本願寺の六条は(左ですよ)、
大仏のある方広寺の道も(左ですよ)
と言う意味らしい。
ここで「ひがし にし」が問題になる。京都の人には、
「ひがし」=おひがし=東本願寺
「にし」=おにし=西本願寺
なのである。ボクには、あるいは旅人には、
「ひがし にし」は東西南北の西、東でしかない。
⑤「今ぐ満(ま)きよ水道」これについてはさっぱり解らなかった。
京都の人には、「今ぐ満(ま)」は今熊野観音寺、
「きよ水」は清水寺への道(は左ですよ)と解釈するそうだ。
きっと(今ぐま)は「く」が濁点になっているところで、判断するのであろう、
(いまぐまかんのんじ)と読むらしい。
それにしても、京都の人は解るが、道標などと言うものは、
京都に詳しくない人が頼りにする物であるから、
何時間もかかって理解できるようでは、何の役にもたたない。
役にたたない例としての、史跡ならいざ知らず、
どうかと思いますね・・・・