楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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本能寺で消えた織田信長の命

2012年05月15日 10時18分30秒 | つれづれなるままに考えること
比叡山を焼き討ちにした信長。

その最期の地「本能寺」を訪ねた。

(本能寺山門)

京都市の説明では、

(-―前略ー―

本能寺は、天正十年(1581)、織田信長が明智光秀によって襲撃され(本能寺の変)、

自刃した所として世に名高いが、その折、

三十余りの宿坊を構えた大伽藍は灰燼に帰した。

その後、豊臣秀吉の都市計画により、天正十七年(1589)、

現在の地に移転再建したが、江戸時代後期に天明・元治の大火にかかり、

堂宇はことごとく焼失し、

現在の本堂は昭和三年(1928)に再建されたものである。)とある。


(本能寺本堂)


(信長公霊廟)

左のほうに見える供養塔は、信長側近(森蘭丸などの)の供養塔。

(信長の供養塔)

コメント (6)
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