今日は6月2日、快晴、気温24℃の予想。
この日光街道を歩くに当たって参考にしているのは、
国土交通省 関東地方整備局 宇都宮事務所が提供している
「日光街道御徒マップ」を利用している。
これから旧日光街道を歩くことをお考えの方はぜひ参考にされますよう、
お勧めします。
JR小山駅から西へ、およそ200mで旧日光街道に交差する。
ここで右折し少し歩くと左手に鳥居があり、「元須賀神社」の標柱が見える。
神殿は鳥居をくぐり、参道の先に見える。
元須賀神社は、宮本町にある須賀神社の元の位置との説がある。
江戸時代には牛頭天王社、元祇園社、本祇園社と呼ばれていたらしい。
(元須賀神社)
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(元須賀神社の神殿)
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元須賀神社の鳥居の前の道路は、旧日光街道らしく「日光街道小山宿」の旗がなびいている。
この道路を挟んで右側、少し奥まったところに「光照寺」がある。
(街路灯にある小山宿の旗)
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(光照寺入口)
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(本堂)
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門を入ってすぐ右手に地蔵堂があるが、信者の皆さんが、
いついつまでにと日限(にちげん)を切ってお願い事をすると成就するいう、
日限(ひぎり)地蔵である。
(日限地蔵尊)
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写真のように紅白の布を頭からすっぽり被せてある。
日限を切ったお願いの作法のようだ。
同じような日限地蔵が中山道上(下諏訪宿)にもあった。
(参照:http://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/e/eabef64d58aff969ad8aa7a94c541dac)
女工哀史で名高い「ああ!野麦峠」の女工さんたちが、
お願いに上がったお地蔵さまだ。
本堂の前面、日限地蔵の左手に千手観音坐像が慈悲深いお姿でいらっしゃったのが印象的であった。
(千手観音坐像)
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旧日光街道に戻って進み最初の信号を左折、
国道四号線に出たら右折し、小山氏城に向かう。
国道四号線の交差点(本郷)を左折すると、
前方にうっそうとした森が見えてくる。
やがて左手に祇園城跡の駐車場があり、
祇園城(=小山氏城)跡はこの先、橋を渡ったところ。
橋は川をまたいでいる訳でなく、お城を囲む深い空濠の上にある。
(本郷の信号)
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(祇園城跡ののぼり旗)
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(空濠)
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空堀の先に広場があって、ここにお城があったのであろう、
周りに土塁がめぐらされている。
土塁の向こう側は、深い空堀となっている。
(土塁)
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ここが下野最大の武士団小山氏の本拠地であった。
近世になり、慶長13年(1608)ころから元和3年(1619)までは小山藩主
本多正純によって支配され、城の大改造や城下町の整備がなされた。
この時、小山市街の基礎が造られ日光街道宿場町も形成され、
庚申塔にあったように佐野・栃木道や結城道の分岐点としても、
大いに栄えたと言うことです。
宿内の大きさは、天保14年の資料では、南北に12町3間(約1.4km)で、
人口1392人
本陣1脇本陣2軒
旅籠74軒
あったという。
小山氏城跡の見学を終わり、元に戻り(本郷)の信号を越えると、
左手に真言宗 寶性院がある。
創建された宝永年間(1704~11)には、日光街道沿いにあったと言う。
門柱 左側には「稲場山 不動尊」とあり、
その左横に倶利伽羅不動尊がある。
(寶性院、左手に稲葉山 不動尊とある)
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(倶利伽羅不動尊)
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この倶利伽羅不動尊を見たときは、恥ずかしながらギョッとしました。
棒に巻き付いた黒い龍のギラリと光る白い眼が写真を撮るボクをにらみ付けていたからです。
よく出来た彫刻です。
彫刻では、左甚五郎の龍が空に駆け昇ると伝えられますが、
この龍の彫刻に、にらみ付けられるとゾッとします。
後で調たのですが、これは小山市乙女の石工の作品として貴重なものだそうです。
寶性院を出て左手に、地図の上では興法寺が有る筈と歩くと、
立派な山門が見える。
庭の植木など手入れされ見事な門構えで、
これぞ興法寺と思ってカメラに収めたところ、
この門の横に小さい石碑で「興法寺入口」とあるではないか。
奥を覗くと、確かにお寺らしく、細い長い道が続いている。
予備知識として、小山藩主だった本多正純から九石の寺領を、
三代将軍 徳川家光からも同じように寺領を与えられていたお寺、
つまり、かなりの格式あるお寺と想像していました。
また、戊辰戦争に受けた弾痕のある地蔵尊もあると、
立派なお寺を想像していたのに・・・・
(お寺の門と間違えた民家の門)
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(興法寺の入り口のちいさな石碑)
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(石碑脇のお寺に通じる細い道)
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入口がこれでは、その後凋落したのだろうかと考えながら進みました。
小さな門をくぐると、お寺の墓地になっており、
墓地の間を抜けると右側に赤い涎掛け(?)を着けたお地蔵さんが、
立派な覆い屋に収まっているのが見える。
さてはこれが戊辰戦争で銃の弾痕が出来たお地蔵さんと思い、
左脇を覗き見ると、豈(あに)はからんや(弟計るや(古いダジャレ/笑)、
銃弾の跡があるではないか。
(小さな門をくぐる)
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(覆い屋に入っている地蔵様)
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(地蔵様の左脇の銃弾の跡)
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(地蔵様の左脇の銃弾の跡の拡大)
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これを確認したとき、左手に年配の方がカメラ片手に何やら撮っている。
何だろうと、その方向へ進むと、なんと立派な鐘楼と本堂、
通路の石畳、整備された庭木や芝生、実に立派そのもの。
そこで写真を撮っていらっしゃるオジサンに聞くと、
ボクの入ってきた通路は裏口で、正門は右手にあるという。
早速正面入口へ向かうと、それは旧日光街道に面しているではないか。
(オジサンが写真を撮っていた場所)
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(興法寺入口)
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(山門)
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(鐘楼)
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(本堂)
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(本堂の変額)
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興法寺を出て旧日光街道を進むと、右手に愛宕神社がある。
これが本郷町の愛宕神社である。
(愛宕神社の鳥居)
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(拝殿)
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(拝殿前の狛犬)
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(遠山閑翠の碑)
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拝殿前の狛犬は、天明五年(1785)の奉納で確認されている小山市内最古の狛犬。
また拝殿北側には、江戸時代この地の領主であった遠山閑翠(三郎右衛門)の碑もあります。
遠山閑翠の碑には、出自から業績などが細々記されている。
旧日光街道を進むと左手に「祇園山 天翁院」木造の古びた看板が目に付く。
天翁院は初代 小山政光が創建したのが始まりで、小山氏の墓があるところだ。
(祇園山 天翁院の看板)
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(道路両側にある看板)
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(道路両側にある看板)
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「祇園山 天翁院」の看板の間にある道路はお寺の参道であるが、
その先に、お寺は見えない。
次回につづく
この日光街道を歩くに当たって参考にしているのは、
国土交通省 関東地方整備局 宇都宮事務所が提供している
「日光街道御徒マップ」を利用している。
これから旧日光街道を歩くことをお考えの方はぜひ参考にされますよう、
お勧めします。
JR小山駅から西へ、およそ200mで旧日光街道に交差する。
ここで右折し少し歩くと左手に鳥居があり、「元須賀神社」の標柱が見える。
神殿は鳥居をくぐり、参道の先に見える。
元須賀神社は、宮本町にある須賀神社の元の位置との説がある。
江戸時代には牛頭天王社、元祇園社、本祇園社と呼ばれていたらしい。
(元須賀神社)
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(元須賀神社の神殿)
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元須賀神社の鳥居の前の道路は、旧日光街道らしく「日光街道小山宿」の旗がなびいている。
この道路を挟んで右側、少し奥まったところに「光照寺」がある。
(街路灯にある小山宿の旗)
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(光照寺入口)
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(本堂)
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門を入ってすぐ右手に地蔵堂があるが、信者の皆さんが、
いついつまでにと日限(にちげん)を切ってお願い事をすると成就するいう、
日限(ひぎり)地蔵である。
(日限地蔵尊)
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写真のように紅白の布を頭からすっぽり被せてある。
日限を切ったお願いの作法のようだ。
同じような日限地蔵が中山道上(下諏訪宿)にもあった。
(参照:http://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/e/eabef64d58aff969ad8aa7a94c541dac)
女工哀史で名高い「ああ!野麦峠」の女工さんたちが、
お願いに上がったお地蔵さまだ。
本堂の前面、日限地蔵の左手に千手観音坐像が慈悲深いお姿でいらっしゃったのが印象的であった。
(千手観音坐像)
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旧日光街道に戻って進み最初の信号を左折、
国道四号線に出たら右折し、小山氏城に向かう。
国道四号線の交差点(本郷)を左折すると、
前方にうっそうとした森が見えてくる。
やがて左手に祇園城跡の駐車場があり、
祇園城(=小山氏城)跡はこの先、橋を渡ったところ。
橋は川をまたいでいる訳でなく、お城を囲む深い空濠の上にある。
(本郷の信号)
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(祇園城跡ののぼり旗)
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(空濠)
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空堀の先に広場があって、ここにお城があったのであろう、
周りに土塁がめぐらされている。
土塁の向こう側は、深い空堀となっている。
(土塁)
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ここが下野最大の武士団小山氏の本拠地であった。
近世になり、慶長13年(1608)ころから元和3年(1619)までは小山藩主
本多正純によって支配され、城の大改造や城下町の整備がなされた。
この時、小山市街の基礎が造られ日光街道宿場町も形成され、
庚申塔にあったように佐野・栃木道や結城道の分岐点としても、
大いに栄えたと言うことです。
宿内の大きさは、天保14年の資料では、南北に12町3間(約1.4km)で、
人口1392人
本陣1脇本陣2軒
旅籠74軒
あったという。
小山氏城跡の見学を終わり、元に戻り(本郷)の信号を越えると、
左手に真言宗 寶性院がある。
創建された宝永年間(1704~11)には、日光街道沿いにあったと言う。
門柱 左側には「稲場山 不動尊」とあり、
その左横に倶利伽羅不動尊がある。
(寶性院、左手に稲葉山 不動尊とある)
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(倶利伽羅不動尊)
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この倶利伽羅不動尊を見たときは、恥ずかしながらギョッとしました。
棒に巻き付いた黒い龍のギラリと光る白い眼が写真を撮るボクをにらみ付けていたからです。
よく出来た彫刻です。
彫刻では、左甚五郎の龍が空に駆け昇ると伝えられますが、
この龍の彫刻に、にらみ付けられるとゾッとします。
後で調たのですが、これは小山市乙女の石工の作品として貴重なものだそうです。
寶性院を出て左手に、地図の上では興法寺が有る筈と歩くと、
立派な山門が見える。
庭の植木など手入れされ見事な門構えで、
これぞ興法寺と思ってカメラに収めたところ、
この門の横に小さい石碑で「興法寺入口」とあるではないか。
奥を覗くと、確かにお寺らしく、細い長い道が続いている。
予備知識として、小山藩主だった本多正純から九石の寺領を、
三代将軍 徳川家光からも同じように寺領を与えられていたお寺、
つまり、かなりの格式あるお寺と想像していました。
また、戊辰戦争に受けた弾痕のある地蔵尊もあると、
立派なお寺を想像していたのに・・・・
(お寺の門と間違えた民家の門)
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(興法寺の入り口のちいさな石碑)
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(石碑脇のお寺に通じる細い道)
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入口がこれでは、その後凋落したのだろうかと考えながら進みました。
小さな門をくぐると、お寺の墓地になっており、
墓地の間を抜けると右側に赤い涎掛け(?)を着けたお地蔵さんが、
立派な覆い屋に収まっているのが見える。
さてはこれが戊辰戦争で銃の弾痕が出来たお地蔵さんと思い、
左脇を覗き見ると、豈(あに)はからんや(弟計るや(古いダジャレ/笑)、
銃弾の跡があるではないか。
(小さな門をくぐる)
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(覆い屋に入っている地蔵様)
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(地蔵様の左脇の銃弾の跡)
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(地蔵様の左脇の銃弾の跡の拡大)
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これを確認したとき、左手に年配の方がカメラ片手に何やら撮っている。
何だろうと、その方向へ進むと、なんと立派な鐘楼と本堂、
通路の石畳、整備された庭木や芝生、実に立派そのもの。
そこで写真を撮っていらっしゃるオジサンに聞くと、
ボクの入ってきた通路は裏口で、正門は右手にあるという。
早速正面入口へ向かうと、それは旧日光街道に面しているではないか。
(オジサンが写真を撮っていた場所)
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(興法寺入口)
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(山門)
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(鐘楼)
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(本堂)
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(本堂の変額)
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興法寺を出て旧日光街道を進むと、右手に愛宕神社がある。
これが本郷町の愛宕神社である。
(愛宕神社の鳥居)
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(拝殿)
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(拝殿前の狛犬)
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(遠山閑翠の碑)
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拝殿前の狛犬は、天明五年(1785)の奉納で確認されている小山市内最古の狛犬。
また拝殿北側には、江戸時代この地の領主であった遠山閑翠(三郎右衛門)の碑もあります。
遠山閑翠の碑には、出自から業績などが細々記されている。
旧日光街道を進むと左手に「祇園山 天翁院」木造の古びた看板が目に付く。
天翁院は初代 小山政光が創建したのが始まりで、小山氏の墓があるところだ。
(祇園山 天翁院の看板)
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(道路両側にある看板)
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(道路両側にある看板)
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「祇園山 天翁院」の看板の間にある道路はお寺の参道であるが、
その先に、お寺は見えない。
次回につづく