楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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気楽にいこうよーおまけの人生

2017年02月01日 05時25分20秒 | つれづれなるままに考えること
血液のガンで「三年間生存率 30%」と告知された話は前回書いた。

この時、抗がん剤治療は苦しいから、治療しない場合は?と尋ねたら、
担当教授が「生存できるのは一年と考えてください」と言われた。

そこで「三年間生存率 30%」に賭けることにした。
なぜなら三年間のうちに医学が進歩して、
完治できる方法が発見されるかもしれないと思ったからである。

自分で勝手に「自分は30%の中に入るもの」と決めてかかっていた。
この病気は10万人に一人か二人しか発症しないらしく、
同じ病気の入院患者はほとんど居ないものと思っていた。

ところが、入院してみると、ナースセンターを挟んで右側に6室、
左側に6室の四人部屋が、左右にそれぞれ男女の患者が入院していた。
他に一人部屋が2室、二人部屋が2室あった。

全部で患者は約50人は居たと思う。
ボクは四人部屋の一室に入れられたが、先に三人の患者が入っていた。
名前を名乗り、「よろしくお願いします」と言って廊下側北西のベッドに陣取った。
しかし、どなたも返事はなかった。

後で聞くと、ボクが陣取ったそのベッドには二日前までいた患者が昨日亡くなっていた、と言うのだ。
しかもその前の患者も、その前の前の患者も、またその前も亡くなっていたのだ。
つまり、このベッドに入る患者は今まで全部亡くなっていたらしい。
(きっとボクも同じようになりそうだと思って)
誰も返事をしなかったのだ。

ここでボクは「生存率 30%」を考え直して、
「三年間で死亡率70%」に置き替えた。
置き替えて見るとどうだ、違った世界が見えてきた。

その昔、居酒屋でも、バーでも、キャバレーでも、
「ビール!」って注文すると、必ずキリンが出てきた、
その頃新聞で見た記事によれば、キリンは50%のシェアを誇っていた。

つまり50%だと、ビールと言えばキリンであった。
そう思うと死亡率70%と言えば、ほとんど誰も死んでしまう事なのだ。

それなら、死ぬまで治療の経過を残してみようと、
日記をつけ始めた。

これがこのブログを始めたきっかけになった。
所がどういう神様の思し召しか知らないが、
満16年経過し、17年目に入り、生き残ってしまった。

退院後は、神様が下さった「おまけの人生!」

仕事も終わったし、「気楽にいこうよ!」

そう思うようになった。







コメント (10)
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