真言宗智山派、薬王山東光院龍福寺が正式な名前で、
ご本尊は大日如来である。
(薬王山龍福寺の門)

この門前右手に枝垂れ桜が3月末には見事な賑わいを見せる。
左手には、御手洗不動堂があって、玉垣の中に白梅がある。
今はまだ咲き始めた所であるが、満開の時期に撮った写真で、
アサヒカメラだったか、コンテストに応募し、
見事佳作に入選したことがあった。
(現在の白梅)

(御手洗不動尊)

御手洗不動(みたらしふどう)は、龍福寺の裏手およそ10mほどの崖下に、
湧水で出来た泉にあったものを拾い出して、崖上の龍福寺門前の堂にお祀りした。
泉は今もあるが、江戸時代には、落語で有名な大山講の御参り前に禊をする場所であった。
さて、龍福寺の門前を入ると、すぐ左手と本堂前にある紅梅が花を付けている。
本堂までの参道左手に薬師堂があり、静かな佇まいに心打たれる。
(山門を入った左手と本堂前の紅梅)

(薬師堂)

(薬師堂の「薬師如来の扁額)

本堂に近づき一礼して手を合わせ、紅梅を楽しむ。
「この寺に伝わる「薬師縁起」には、
薬師堂に祀られている薬師如来(秘仏)が、
天長年間(824~834)に台座下の七々子崎(ななこさき)と呼ばれる
荒川の入り江で発見されたことや、当地小豆沢(あずさわ)の地名が、
平将門への貢物を積んだ船がここで沈み、
積み荷の小豆が流出したことに由来していることが書かれている。」(板橋区教育委員会)
小豆が流れ出て、芽が出て小豆の沢が出来た所から「小豆沢(あずさわ)」と名付けた。
と言う伝説だ。
(本堂前の紅梅)

(紅梅)

本堂右手を見ると、手入れの行き届いた白梅が見える。
まだ咲き初めたばかりの白梅は、
満開になると木の枝が雪をかぶった様に真っ白になり、
毎年のことだがアマチュアカメラマンの格好の被写体になる。
この白梅の下に、黒白の猫が何かを狙って動かない。
しばらくすると何か小さな鳥の様なものが、さっと飛び出して行ったが、
猫は呆然とするだけで動くことも出来なかった。
(本堂右横の白梅)

(獲物を狙う猫)

「このお寺には、かって二十数基の板碑があって、板碑寺とも呼ばれていましたが、
先の大戦の空襲で、その多くが破損し、
現在では昭和58年度の板橋区の指定文化財となった、
建長七年(1255)の板碑など七基が残るだけです。
なお、本寺は豊島八十八か所霊場の第86番札所となっています。」(板橋区教育委員会)
(板碑)

(建長七年お板碑)

(地蔵尊)

板碑の後ろには、
龍福寺の代々住職のお墓があり、
その後ろに並ぶ六道の案内をすると言う地蔵尊が可愛い。
ご本尊は大日如来である。
(薬王山龍福寺の門)

この門前右手に枝垂れ桜が3月末には見事な賑わいを見せる。
左手には、御手洗不動堂があって、玉垣の中に白梅がある。
今はまだ咲き始めた所であるが、満開の時期に撮った写真で、
アサヒカメラだったか、コンテストに応募し、
見事佳作に入選したことがあった。
(現在の白梅)

(御手洗不動尊)

御手洗不動(みたらしふどう)は、龍福寺の裏手およそ10mほどの崖下に、
湧水で出来た泉にあったものを拾い出して、崖上の龍福寺門前の堂にお祀りした。
泉は今もあるが、江戸時代には、落語で有名な大山講の御参り前に禊をする場所であった。
さて、龍福寺の門前を入ると、すぐ左手と本堂前にある紅梅が花を付けている。
本堂までの参道左手に薬師堂があり、静かな佇まいに心打たれる。
(山門を入った左手と本堂前の紅梅)

(薬師堂)

(薬師堂の「薬師如来の扁額)

本堂に近づき一礼して手を合わせ、紅梅を楽しむ。
「この寺に伝わる「薬師縁起」には、
薬師堂に祀られている薬師如来(秘仏)が、
天長年間(824~834)に台座下の七々子崎(ななこさき)と呼ばれる
荒川の入り江で発見されたことや、当地小豆沢(あずさわ)の地名が、
平将門への貢物を積んだ船がここで沈み、
積み荷の小豆が流出したことに由来していることが書かれている。」(板橋区教育委員会)
小豆が流れ出て、芽が出て小豆の沢が出来た所から「小豆沢(あずさわ)」と名付けた。
と言う伝説だ。
(本堂前の紅梅)

(紅梅)

本堂右手を見ると、手入れの行き届いた白梅が見える。
まだ咲き初めたばかりの白梅は、
満開になると木の枝が雪をかぶった様に真っ白になり、
毎年のことだがアマチュアカメラマンの格好の被写体になる。
この白梅の下に、黒白の猫が何かを狙って動かない。
しばらくすると何か小さな鳥の様なものが、さっと飛び出して行ったが、
猫は呆然とするだけで動くことも出来なかった。
(本堂右横の白梅)

(獲物を狙う猫)

「このお寺には、かって二十数基の板碑があって、板碑寺とも呼ばれていましたが、
先の大戦の空襲で、その多くが破損し、
現在では昭和58年度の板橋区の指定文化財となった、
建長七年(1255)の板碑など七基が残るだけです。
なお、本寺は豊島八十八か所霊場の第86番札所となっています。」(板橋区教育委員会)
(板碑)

(建長七年お板碑)

(地蔵尊)

板碑の後ろには、
龍福寺の代々住職のお墓があり、
その後ろに並ぶ六道の案内をすると言う地蔵尊が可愛い。