高熱があるのに、
その春小学校にあがる弟の肩に背負わせ、
「これがおまえのランドセル」
と言われたときの弟の力のない笑顔。
死んだ後の父母姉妹の悲しみ。
同じことを体験したことが無い人にはわからない、
深~い悲しみは、忘れることが出来ない。
新調してあった入学式用の衣服を弟に着せて、
枕元にランドセルを置き、撮った最後の写真。
その眠るような写真の顔を、思いだしながら、
葬儀後の自分が考えて居ることは、
自殺して、この世の生きる苦しみから逃れようとしている自分。
腕に当てた剃刀、したたる血が膝に赤く点々と落ちている。
さらに考える、
弟が家族に与えた悲しみは、今 自分自身に降りかかって、
同じ悲しみに追い込まれて居る。
もし、この剃刀を引けば、家族の悲しみはさらに広がる。
自分は弟ほど悲しまれないかも知れないが、
悲しまれるような人でありたい、
(あの子は勉強もよく出来たのに、
どうして世を去らなければならなかったのだろう)
そうです弟は頭も良くて、3歳の時に、
ボクが始めた英語の勉強を聞いて居て、
ボクより早く英語を覚えて行った。
だから弟の死は悲しまれる。
それなのに自分はどうだ。
高等学校も、まともに卒業できないかも知れない、
誰が悲しんでくれるというのだ、
出来の悪い子が一人減って良かったくらいにしか、
思われないに違いない。
そうで無くとも、悲しまれるような子になってから、
死んでも良いではないか・・・
否定的な考えはつづく・・・
待てよ、そうならばボクが、
弟の分と自分と二人分の人生をやって見れば、
事情が変わるかもしれない。
そこで剃刀から手を放した。
そう考えて高等学校に進学した。
人生の扉 竹内まりや