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楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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七重八重(五月二日のブログの追加)

2015年06月09日 09時12分30秒 | ひとり歩き旅
五月二日のブログで、次のように披露した。

【(一重の山吹の花が七つ八つと咲いた一枝)


・七重八重 花は咲けども 山吹の
          実の(蓑)一つだに 無きぞ悲しき 
(古歌)

もう山吹が咲き始めた。
太田道灌に差し出した山吹も、こんな一枝であったろうか。

大田道灌が狩に出て、急な雨に雨合羽の蓑(みの)を借りようと、
一軒の山家を訪ねた。

「蓑をお借りしたい」とお願いすると、

応対した乙女が、いったん奥に下がって、
やがて山吹の花を一枝と、上記の歌をお盆に載せて差し出した。
道潅は、(蓑を貸してほしいのに、馬鹿にするな)
と怒って帰ってしまった。

帰ってからこの話をすると、
家来が道灌に言うには、
(山吹の花はこんなに綺麗に咲いても「実の」ないことと、
この家には雨合羽の「蓑(みの)」が無いことを、
そっと教えているのです。)とささやいた。

道灌は武骨一辺倒で、わが身の教養の無さに恥じ入って、
以後猛烈に歌の勉強をしたと言う。
このエピソードを山吹を見るたびに、毎年思う出す。

そこで表題の「七重八重」の話である。
差し出された一枝の山吹の花は、花びら一重(ひとえ)の山吹の花が、
七つも八つも重なり合って咲いていたのであろうか?
或いは、花びらが重なる「八重山吹」の一枝であったのだろうか?

(八重山吹)


すこぶる疑問に思ったのは、昨年の事。
今年もこの時期雨が多く、雨の中を山吹は鮮やかに輝き、咲いている。
一重の山吹も、八重の山吹も、同じように連なって咲いている。

ここで問題は、「実の一つだに」と詠んだ歌は、「蓑一つだに」と、
山吹の果実が生らないことと、雨合羽の蓑(みの)がないことを、
山吹の花にかけて詠んだ所にある。

どっちだったろうかと、一年悩んだ末に、
(山吹のどちらに実が生らないのか調べれば解る)ことに、
昨日になって気が付いた。
植物図鑑で調べると、八重の山吹には果実が着かないで、
一重の山吹には実が着くことが分かった。

蓑(みの)の実が着かないのは、八重の山吹であるから、
太田道灌に差し出した山吹の一枝は、八重の山吹であることが分かった。】


以上は、5/2にブログに書いて披露したので、
ご記憶の方もあろうかと思います。

しかし、ボクは生まれてこの方、山吹の実なるものを見たことが無い。
そこで、今年は山吹が咲き終わった後も、
どんな実がなるのか、毎日のように山吹を観察して来て、
本日、初めて山吹が実を付けているのを見つけたので、
ご覧に入れたいと思います。

(山吹の実)


この山吹の実は、星形に五つついていますが、花によっては、
実が一つのものあり、二つのものありと、いろいろあります。


コメント (11)
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吉野山 観て歩る記 3(吉水神社 2)

2015年06月04日 16時30分30秒 | ひとり歩き旅
(吉水神社 2)

吉水神社入口を入ると、左側にこじんまりとした美しい庭園がある。
池の傍に佇んでいると、静寂に身をつつまれる想いがする。

(門を入った右側の庭園)

(吉野山が借景となる庭園奥の様子)


想いがすると書いたのは、本日は平日にも関わらず、
後ろの方で女性の方々が、かしましく騒いでいたからだ。
何だろうと振り向くと、展望台になっており、
「一目千本」の立札通り、目の前に広がる吉野山が全景を見せている。
花の頃は、さぞ美しいであろう、
今は、青葉若葉が目に沁みる。

(一目千本の立て看板)

(一目千本、花の後の新緑の美しい吉野山の様子)

(吉野山の新緑)

(唯一日陰に残る吉野のさくら)

(吉野山の新緑)


その展望台の左隣に、「弁慶の力釘」の立札があり、
弁慶がその自慢の力を見せんと親指で石に釘を打ち込んだと言う。

(弁慶の力釘)


その先に吉水神社の書院がある。
これが日本建築史上最古の書院として、
ユネスコにより世界遺産に登録された書院であるが、
ただいま修復中ですっぽり養生シートが掛けられていた。
書院内には、後醍醐天皇の御製の和歌や義経家来の佐藤忠信の兜、
役行者像、弁慶の七つ道具、秀吉愛用の金屏風など、
重要文化財が多数展示されていて一見の価値がある。

(太閤秀吉愛用の金屏風)

(後醍醐天皇御製の色紙)

(役行者像)

(佐藤忠信の兜)


後醍醐天皇の御製の和歌お読みいただけましたでしょうか?
和歌は、
「花にねて よしや吉野の よし水の
           まくらのもとに 岩はしる音」 御製 

この書院の北側には、南朝の後醍醐天皇が京都に向かって祈られた
北闕門(ほっけつもん)があります。
ここは邪気払い所として、古来より山伏たちは、
無事平穏を祈り、九字による邪気払いを行ったと言われる。
後醍醐天皇 辞世の句、

「玉骨(ぎょっこつ)は縦(たとい) 南山(=京都)の苔に 埋まるとも
          魂魄(こんぱく)は常に 北闕(ほくけつ)の天を望まん」
*筆者の勝手気ままな訳、
(自分の身は 例え吉野の苔に埋もれても、魂は何時も、みやこの空を仰ぎ見ることだろうよ)

(北闕門)

コメント (8)
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