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楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

低い気温は例年並み

2016年01月13日 08時40分24秒 | 日記
1/12、最高気温 東京は7℃の予報で今冬最低の温度の予定。

なのに、これで例年並みだそうです。
朝早く、雪を観測して、初雪となったと報道があった。
登校前の小学生にエレベーターで一緒になったので、
「今朝、雪が降って、初雪だったそうだ」と言ったら、
「どこで降ったの」
「今朝早く、気象庁が東京で観測したんだって」と言うと、
「ふーん」と言って元気に出ていった。
「行ってらっしゃーい」と言うと大きな声で、

「行ってきまーす」と返事。

子供は風の子と言うが、ボクは丸めていた背筋を伸ばして、
子供に見習い、散歩に出かけた。

この寒さ、今までが異常に暖かすぎたが、
身に応える人も多いに相違ない。

気のせいか救急車のサイレンが大きく聞こえる。

それも回数が増えているように思える。
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プロレスごっこ

2016年01月10日 08時01分21秒 | 日記
中山道の志村一里塚のある商店街で、企画したプロレス興行。
大変な人だかりで、ボクはどうせ「やらせ」だからと思って、
まともには見なかった。
周りの大人たちもそんな雰囲気であったし、
興行している人のアナウンスでも、暗にそれを含んでいて、
子供たちを前の見やすい所へ、出してやって下さい、
ご協力くださいと言っている。

(女子プロレス・ごっこ)

(女子プロレス・ごっこ2)


その昔、テレビで映し出された力道山や長州力のプロレスを見て、
レスラーを凄い力と体力の持ち主と思っていた。

ある時、力道山が警官の持つ棍棒を空手チョップでへし折ったのを見て驚いた。
しかし、プロレスでは本気で空手チョップを出していないと知った。
もし本気をだして、空手で身体を打っていると、骨の二三本は折れてしまう。
そう力道山は語っていた。もちろん命の保証もない。

プロレスショウだから、デブと痩せ、痛そうな声とうめき、
を観客の前に出して面白さを煽る・・・・

(本気ではなくショウなのだから・・・・)
(つまり「プロレスごっこ」だから・・・・)

こんなことを考えて見ていると、
世の中、すべてインチキで固まっていることになってしまう。
これでは春から夢も希望もない。

気持ちを切り替えて筝曲などいかがでしょうか・・・・

春の夢ならぬ「春の海」

春の海(Haru No Umi) 宮城道雄


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門松

2016年01月07日 08時49分35秒 | つれづれなるままに考えること
頓智の一休さんの狂歌に、

「門松は 冥途の旅の 一里塚
       めでたくもあり めでたくもなし」

と言う歌がある。

その意味は、めでたい正月の門松も、それを立てるたびに歳を重ねると言う意味もあり、
重ねると死に近ずく、だからめでたくもないと言う意味もある、と言う。

一昨日(1/5)、行き先短い病床の友人を見舞った。
三回目だ。
つまり毎月見舞っていると言うこと。
最初の二回はほぼ30日毎、今回は10日目。

火曜日は教授回診の日であったらしく、病室に居る間に教授が来た。
いつもの事であるが、友人の主治医を初め十名ほどの研修医を従えての回診である。

ある研修医の話だと教授回診は一種のデモンストレイション(demonstration)だと言う。
教授が回診することで、患者はいつもこの先生に見てもらっていると言う安ど感を得ると言う。
一方で、辞書を見ると、実地教授と言う意味もあるように、
研修医に、患者の診察はこのようにするのだと実地に教える意味もある。
また、教授が医師団と検討した治療方法が確実に行われているかどうかの検閲も兼ね、
さらに良い治療方法は無いかも探っている。
まだ他にもあるだろう。


話がややこしい所へ反れてしまったが、
実はボクは友人の痩せ細ったのが気が気でなかったのだ。
先月クリスマス前日に訪ねた時、入院しておよそ二ヵ月しか経っていないのに、
痩せ方が異常に激しいかったから、ナースセンターで状況を聞いたが、
第三者へは教えられないと断られてしまった。

今日見舞ったときは、さらに輪をかけて痩せさらばえて、
腕は骨の上に皮膚が乗っているような状態、
顔に至っては骸骨に皮が被さっているようで、
目玉だけが友人の面影を残している状態である。

担当の医師を捉まえて、
「病状はどうなんですか?
ボクは彼とは親友の中で、中学高校の同級生で、
アイウエオ順に並べると、ボクの次が彼で、
席順がボクが前で彼が後と言う関係でした。
大学こそ違いましたが、
就職したら同じ会社だったこともあり、
非常に親しく、結婚して子供が出来ないので、
お酒と肉を持って彼の家に遊びに行き、
すき焼きをして、酒を飲みながら、
彼と奥さんを前に子供の作り方を教えたこともあります。
郷里は名古屋で東京には息子夫婦を除けば彼には親戚もありません。
奥様はすでに他界しています。
ボクと彼は、そんな間柄ですから、つつまず教えてほしい。」
と話した。

若い医師はしばらく考える風であったが、やおら口を開いて、
「先月のクリスマスの時が一番危なかったのです。
今は少し良くなっていますが、食事が出来ないので、
あの通り痩せています。回復の見込みはほぼありません。」
と言う。

「食事をすれば何とか回復の余地はあるのですか?」と聞くと。
「一週間くらいは伸びるでしょう」と言う。

つまり、何かを口に入れ消化すれば、
一週間くらいは延命できるかもしれないと言うのだ。

「それでは、今の状態だと、あとどのくらい持つのでしょうか?」と、
単刀直入にお聞きすると、
「今月内がメドだと思います。」という。
「有り難うございました」と言って、
病室内の彼のベッドへ戻った。

病室から出た廊下での立ち話であったので、
ベッドの彼に聞こえたかもしれない。

「少し口に物を入れないと、体力が持たないだろう。
何か欲しいものはないか?」と聞くと、

「80歳にもなって、この状態では回復しようなど考えも及ばないよ。
もしお前がその歳で病気になったら、きっと助かろうなどと思わないだろう。
俺がお前より先に逝くと言うことだよ。」と彼は云う。

まあ順番だから仕方がないよと言わんばかり、
覚悟はできているらしい。
「解った、それでは今度はいつ来るかな。」と言うと、
「もう来なくて良いよ。もう十分だよ。」という。
次の言葉がなくて、面接時間も過ぎているので、
「それでは、」と手を差し伸べると、力のない手を出して、握手をした。
暖かい手であった。


一休禅師の言葉に、
「世の中は起きて稼いで寝て食って、後は死ぬを待つばかりなり」と言うのがある。

人生はどんな形であれ、「生まれて生きて死ぬ」ただそれだけのことでしかない。
その間に、泣いたり楽しんだり苦しんだり喜んだり悲しんだり、
そんな事があっても、それが何だと言うのだ。
その次は死ぬだけのことじゃないか。

つまり、生きると言うことは、生まれて死ぬまでにいろんなことが有るが、
あると言うだけのことで、実は何にもない、空虚なことだと言うことだ。

友人を見舞ってそう感じた。

空しい半日であった。

ボクもこれで、大事な友人を失うことになる。

しかし順番だからこれも仕方ないか・・・・

一週間たったら、もう一度見舞って見ようと思っている。



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ヴェランダから見た富士

2016年01月04日 11時43分49秒 | 日記


3日の朝陽を受けた富士


その日の夕陽
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初春

2016年01月02日 07時11分39秒 | 日記







初春の
    およろこびを
         申し上げます


(朝の富士)

(夕暮れの富士)
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