楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

山形の酒田市・日和山公園~終わりが山居倉庫(芭蕉の道を歩く 80)

2024年07月20日 05時10分44秒 | 芭蕉の旅
山形県の酒田市と聞くと、
思い出すのが日和山公園の灯台と北前船。
北前船の水夫たちは日和を見るために山に登り海と空を眺め、
航路の安全を願った。

酒田市が発展していったのは、
この北前船を動かした川村瑞賢。
米を運び帰りに塩、
土台となる石、鉄、都の雅の衣類などを
運んだ豪商であった。

(日和山公園の灯台と北前船の図案のマンホール)


(商いをした北前船の模型でも20人くらいは乗れる)

(反対側から見た北前船の模型)


(日和山公園の灯台。)


その日和山公園にある芭蕉像と句碑。


句碑は、
・暑き日を 海に入れたり 最上川

この「暑き日を・・」の句にぴったりの
写真も展示されていたので、

拝借。


「おくのほそ道」で、
「川舟に乗(のり)りて、酒田の湊(みなと)に下る。
淵庵不玉(えんあんふぎょく)と云う
医師(くすし)の許(もと)を宿とす。

・あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ
・暑き日を 海に入れたり 最上川」とある。

ここの「淵庵不玉と云う医師」というは、
本名:伊東玄順、医号:淵庵、俳号:不玉という人物。


(不玉亭案内標柱)


(不玉亭跡の碑)


曾良の旅日記では
「十四日 寺島彦助亭へ被招。俳有、夜に入りて帰る。暑甚。」
ここでの芭蕉の俳句
・涼しさや 海に入たる 最上川

歩いて近江屋三郎兵衛の宅跡も観たが・・・

(近江屋三郎兵衛宅跡の碑)


最後が、酒田市で有名な山居倉庫。北前船に載せた米の貯蔵庫であった。

(コメを貯蔵した山居倉庫)

山居倉庫の反対側


山居倉庫内にあるレストラン、「夢の倶楽」で昼食後解散した。



ボクは荘内ナンバーを始めて見たので、

パチリ、

そしてバス、新幹線と乗り継いで帰京した。
体力がなくなり、ツアーに依存しましたが、
ツアーについて一緒に行くことも難しくなりました。

「おくのほそ道」は
この後倶利伽羅峠から、
富山、小松、那谷、山中 他とつづき、
最後、大垣となりますが、私こと
年齢でこの後を訪ねるのは難しいと思います。

もしマイ・ペースで行くことが叶えば、
「おくのほそ道」つづきを綴りたいと思います。

お付き合いいただきありがとうございました。

羽黒山で頂いたお守りの袋。

・もろもろの 罪穢れを 払ひ給え 清め給え



楽しい人生の一日、一時間を
有効に
過ごされますように・・・















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アメリカンフヨウとムラサキルエリア

2024年07月18日 04時41分47秒 | 日記
ご近所の集合住宅の前庭で栽培されているアメリカンフヨウ。
大きく花開いて見事だ。


(アメリカンフヨウ1)


(その隣に咲いていたムラサキルエリア)

その下に咲いていた可憐な花、ネットで調べたら、
ムラサキルエリアという。

葉が柳の葉に似ている。
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うまく撮れたつもりの アジサイ

2024年07月13日 04時32分43秒 | 日記
スマホで写真がうまく撮れないので、
ずいぶん苦労したが、
アジサイが終わり頃になって、
やっと一枚、うまく撮れた!
と、自分では思っているのですが、

如何でしょうか?


この花の中で撮りました。
どの部分を切り取ったのか、
お分かりになるでしょうか?


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最上川から清川へ(芭蕉の道を歩く 79)

2024年07月10日 04時36分11秒 | 芭蕉の旅
本合海から乗船した芭蕉と曾良、
船に揺られて清川で下船する。

(乗船した本合海の芭蕉・曾良像)

(本合海の最上川)

「おくのほそ道」では、
「最上川は、みちのくより出でて、山形を水上とす。
 ごてん・はやぶさなどおそろしき難所有。
板敷山の北を流れて、果ては酒田に入。
-中略ー
白糸の滝は青葉の隙ひまに落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。
水みなぎって舟あやふし。」
とある。

ボクたちが最上川の乗船場に着いたとき、
「水みなぎって舟あやふし。」どころか、
最上川は渇水状態で舟下りができない状態と言われ、
やむなく、行けるところまで行って、
Uターンして帰ってくるという案で我慢することとなった。

舟下りの感覚だけは得られたものの、
「ごてん・はやぶさなどおそろしき」などという所は無く、
水不足で、流れの荒々しい所は一切なく、
また、青葉の間に見えるはずの白糸の滝も水不足で、
青々とした木の緑しか見えず、
仙人堂の鳥居が小さく見えただけであった。

(最上川舟下りの御一行様)


芭蕉が下船したという、
清川は廃校となった小学校の後に、
関所もあり芭蕉像もあり、
その脇を最上川が流れている。

(清川関所への道)


清川小学校の最上川寄りの裏庭に堤防に向かって
清川関所跡の標柱がある。

(清川関所の案内)


(松尾芭蕉と清川の案内)

松尾芭蕉と清川の案内によりますと、
「俳聖芭蕉は、元禄2年(1689年)6月3日
本合海よりこの地に上陸し、清川を通って羽黒に向かいました。

・五月雨を 集めて早し 最上川

この名句は、その船の中で作ったものと、
言われています。
清川は往時、最上川の水駅として栄え、
この地に清川関所がありました。
その往時を偲ぶものは榎の古木と
隣の井戸だけとなってしまいました。」とある。

案内の中の英文は、90歳になって日本に帰化した、
芭蕉研究家ドナルド・キーンによる
「おくのほそ道」の英訳本の一部かと思ったが、
これはR.H. Blyth氏によるとあるが、
ボクはこの方を知らない。

・五月雨を     Collecting all
 集めて早し             The rain s of May
 最上川                 The swift  Mogami River

英語の直訳: 五月の雨を
       すべてを集めて       
       早い最上川 

ドナルド・キーン氏の英訳では、次のようになっている。

Gathering seawards                       直訳: 夏の雨を 集めて海へ
The summer rain,how swift it is!      なんて早いんだろう!
Mogami River                最上川は 

本題から外れてしまった。
元に戻そう。

(関所前の井戸と芭蕉像上の榎の葉)



(中央の木の左横にある白い清川関所の跡の碑)

(清川関所の門)




その横に庄内藩清川関所(船見番所)がある。


(船見番所)

(芭蕉が乗ったであろう川下りの舟の模型)


出羽三山神社入り口.

(出羽三山神社入り口)

(芭蕉も訪れた案内、隋神門前)

(隋神門)

(隋神門前で山伏と記念写真を撮る観光客)

(隋神門の奥、五重塔へ通じる下り階段)

この先は羽黒山五重塔を見て頂きたい.


コメント (8)
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七夕まつり

2024年07月06日 22時58分36秒 | ひとり歩き旅
いつものことで、
7/2日に七夕飾りの準備をした。

手伝ってくれる子供たちに、
キャンディやジュースを用意した。

そして出来上がったのが これ!



上出来の七夕祭りである。
手の込んだ飾りは、昨年のものを利用したが、
短冊は、それぞれ望みを書き込み飾り付けた。

通りかかるマンションの住人にも、
別途、短冊と筆ペンやらサインペンを置いた。

さて、話が変わるが、
毎朝散歩するお手洗いの洗面所、
いつもは季節の花が飾られるが、
今週に限っては笹に短冊である。



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