楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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     ・おくのほそ道を歩く

猿羽根峠(さばねとうげ)と新庄の「柳の清水」(芭蕉の道を歩く 78)

2024年07月03日 04時32分22秒 | 芭蕉の旅
「おくのほそ道」で芭蕉・曾良の旅は、
梅雨の雨に行く手を遮られているが、
大石田から猿羽根峠(さばねとうげ)を越えて、
新庄に行き本合海から船に乗り、
最上川を下っている。

猿羽根峠には奥の細道で芭蕉が通った道の案内もあり、
ボクたちはバスで移動。

(猿羽根峠旧道の案内)


案内によれば、
「松尾芭蕉は大石田から、
この猿羽根峠を越え新庄に向かった。
大石田からは高野一栄と高桑川水が
猿羽根峠にある阿弥陀堂まで見送ってくれた。」とある。

猿羽根峠の頂上には、その地蔵堂があり、
そこの阿弥陀堂を訪ねた。

羽州街道の一里塚脇の道路を左に入る場所にある石塔には、
「猿羽根山地蔵堂」とある。

(一里塚跡)

(猿羽根山地蔵堂)


案内に沿って地蔵堂に向かう。

(阿弥陀堂1)


(阿弥陀堂2)


猿羽根峠を越えて芭蕉は新庄に入り、
渋谷甚兵衛(俳号:風流)宅を宿とした。

・水の奥 氷室尋ねる 柳かな 芭蕉翁

これを風流亭での芭蕉の挨拶の句としている。

それが「柳の清水」に句碑として立ち、
観光客が句碑に群がっている。

(柳の清水と句碑)

(芭蕉句碑は日陰で読めなかった)

碑陰には、大島蓼太の俳句、

・涼しさや 行く先々へ 最上川  蓼太

これは陽当たりが良く読むことができた。

(柳の清水の句碑の裏面に陽が当たって読めた。)


(上の写真の拡大)

(渋谷九郎兵衛 盛信亭跡の碑)

翌日二日 昼過ぎより九郎兵衛(俳号:盛信)に招かれる。
誠信亭では、

・風の香も 南に近し 最上川  翁

を詠んでいる。
なお、句碑は先に行った猿羽根峠の地蔵堂の手前に残っている。

(「風の香も」の句碑)



新庄から本合海に移動して、
芭蕉はここから最上川の船に乗り酒田へ向かっている。

(おくのほそ道 風景地:本合海)

(芭蕉乗船の地:本合海の芭蕉・曾良の像)




コメント (10)
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