「おくのほそ道」で芭蕉・曾良の旅は、
梅雨の雨に行く手を遮られているが、
大石田から猿羽根峠(さばねとうげ)を越えて、
新庄に行き本合海から船に乗り、
最上川を下っている。
猿羽根峠には奥の細道で芭蕉が通った道の案内もあり、
ボクたちはバスで移動。
(猿羽根峠旧道の案内)

案内によれば、
「松尾芭蕉は大石田から、
この猿羽根峠を越え新庄に向かった。
大石田からは高野一栄と高桑川水が
猿羽根峠にある阿弥陀堂まで見送ってくれた。」とある。
猿羽根峠の頂上には、その地蔵堂があり、
そこの阿弥陀堂を訪ねた。
羽州街道の一里塚脇の道路を左に入る場所にある石塔には、
「猿羽根山地蔵堂」とある。
(一里塚跡)

(猿羽根山地蔵堂)

案内に沿って地蔵堂に向かう。
(阿弥陀堂1)

(阿弥陀堂2)

猿羽根峠を越えて芭蕉は新庄に入り、
渋谷甚兵衛(俳号:風流)宅を宿とした。
・水の奥 氷室尋ねる 柳かな 芭蕉翁
これを風流亭での芭蕉の挨拶の句としている。
それが「柳の清水」に句碑として立ち、
観光客が句碑に群がっている。
(柳の清水と句碑)

(芭蕉句碑は日陰で読めなかった)

碑陰には、大島蓼太の俳句、
・涼しさや 行く先々へ 最上川 蓼太
これは陽当たりが良く読むことができた。
(柳の清水の句碑の裏面に陽が当たって読めた。)

(上の写真の拡大)

(渋谷九郎兵衛 盛信亭跡の碑)

翌日二日 昼過ぎより九郎兵衛(俳号:盛信)に招かれる。
誠信亭では、
・風の香も 南に近し 最上川 翁
を詠んでいる。
なお、句碑は先に行った猿羽根峠の地蔵堂の手前に残っている。
(「風の香も」の句碑)

新庄から本合海に移動して、
芭蕉はここから最上川の船に乗り酒田へ向かっている。
(おくのほそ道 風景地:本合海)

(芭蕉乗船の地:本合海の芭蕉・曾良の像)
