勝山市エコミュウジアム推進協議会と米原市上丹生Kプロジェクトの皆さんとの交流が 谷のお寺で行われました。次に勝山エコ協の取り組みなどの説明があって そのあと、縄文の里料理研究会の料理をお寺の囲炉裏を囲んで、皆さんで談笑しながら頂きました。谷の村からは、カヤの実の炒ったものや天然ナメコ汁なども出されました。
昼食が済んでからは、米原市上丹生Kプロジェクトの活動内容などを教えて頂きました。
心象絵図と言っておられましたが、今から50年前ぐらいの村の様子。仕事の内容。四季おりおりの行事など、縦1.7メートル横3.6メートルの二相の屏風にまとめられた。それが出来上がるまでの様子などもビデオを見せて頂きました。
村人が 沢山集まって いろんな思いで話やなど 自分の知っていることを次々に話されるのを まとめて絵にして行かれたそうですが、絵で見れば、自分の家のある所から、日々の暮らし、祭り行事。仕事の内容まで 一目瞭然で分かる 素晴らしいものです。 説明書きは 一切いりません。
この屏風を見るだけで、初めての人にも だいたいのことは 分りますし。
ここの 村 上丹生の人に尋ねれば、ひとつひとつ丁寧に教えてもらえることでしょう。
語り部という特殊な能力の持ち主で無くても だれでもが 気軽に説明出来る。それだけ 愛情、愛着が込められた 素晴らしいものです。まさに心象絵図です。
私も 御所が原物語。ごちゃごちゃ 文章を書かなくて こういう絵図にまとめられたらいいなーと 思いました。
しかし 絵にするには、文にするよりも、心を込めて取り掛からなければならないと 思いました。
説明された上丹生の代表の方が 感極まって 絶句されましたが、筆舌に尽くしがたい、御苦労の結晶だと 思いました。
絵を見て 私が一番に思ったことは、村全体を見渡しても田んぼがほとんど描かれていませんでした。
そのことをおたずねすると、耕地は 無かったので、仏壇作りとか炭焼き、林業で米を買って生計を立てていたと 言われました。
それには、村全体がよほどまとまって団結していないと 出来なかったのではと 思います。
江戸時代何回も飢饉が有りました。米を作っている百姓でさえ 飢え死する時、お金を出しても そう簡単に米が手に入ったとは考えられません。
そこを生き抜いて来られた上丹生の人たちは私たちとは性根が違うと思いました。
あの心象屏風の3分の2の大きさの絵図を見せて頂き、是非上丹生に行ってみたいと 思いました。
昼食が済んでからは、米原市上丹生Kプロジェクトの活動内容などを教えて頂きました。
心象絵図と言っておられましたが、今から50年前ぐらいの村の様子。仕事の内容。四季おりおりの行事など、縦1.7メートル横3.6メートルの二相の屏風にまとめられた。それが出来上がるまでの様子などもビデオを見せて頂きました。
村人が 沢山集まって いろんな思いで話やなど 自分の知っていることを次々に話されるのを まとめて絵にして行かれたそうですが、絵で見れば、自分の家のある所から、日々の暮らし、祭り行事。仕事の内容まで 一目瞭然で分かる 素晴らしいものです。 説明書きは 一切いりません。
この屏風を見るだけで、初めての人にも だいたいのことは 分りますし。
ここの 村 上丹生の人に尋ねれば、ひとつひとつ丁寧に教えてもらえることでしょう。
語り部という特殊な能力の持ち主で無くても だれでもが 気軽に説明出来る。それだけ 愛情、愛着が込められた 素晴らしいものです。まさに心象絵図です。
私も 御所が原物語。ごちゃごちゃ 文章を書かなくて こういう絵図にまとめられたらいいなーと 思いました。
しかし 絵にするには、文にするよりも、心を込めて取り掛からなければならないと 思いました。
説明された上丹生の代表の方が 感極まって 絶句されましたが、筆舌に尽くしがたい、御苦労の結晶だと 思いました。
絵を見て 私が一番に思ったことは、村全体を見渡しても田んぼがほとんど描かれていませんでした。
そのことをおたずねすると、耕地は 無かったので、仏壇作りとか炭焼き、林業で米を買って生計を立てていたと 言われました。
それには、村全体がよほどまとまって団結していないと 出来なかったのではと 思います。
江戸時代何回も飢饉が有りました。米を作っている百姓でさえ 飢え死する時、お金を出しても そう簡単に米が手に入ったとは考えられません。
そこを生き抜いて来られた上丹生の人たちは私たちとは性根が違うと思いました。
あの心象屏風の3分の2の大きさの絵図を見せて頂き、是非上丹生に行ってみたいと 思いました。