會津八一の歌碑巡りも、薬師寺、興福寺、東大寺、今回の新薬師寺と4か所目である。
新薬師寺へは、ならまちから、あるいは春日大社から“ささやきの小径”を通っていくことになる。ささやきの小径を抜けてから、新薬師寺までのルートは、高畑さろんや志賀直哉旧宅などがあり、非常に閑静な住宅街の中を抜けていき、新薬師寺の周辺は、土塀のある住宅があり、いかにも京都とは違う古都、奈良を感じさせる場所である。観光地奈良もここまでくるとかなり、人が少なくなり、非常に静謐な空間となっている。
新薬師寺へは、南門から入っていくことになる。南門は、東門とともに鎌倉時代の建築であり、国の重要文化財に指定されている。
南門から入ると、正面に本堂がドーンと目に入る。新薬師寺の本堂も奈良時代の建築であり、国宝に指定されている。新薬師寺は、奈良時代、聖武天皇もしくは光明皇后が開基とされ、創建時には、七堂伽藍を備える立派な寺院だったようである。新薬師寺の近隣にある奈良教育大学の構内で、新薬師寺の金堂跡と考えられる建物跡が検出されている。その後兵火等により衰退し、奈良時代の建物としては、当時の何かの建物(食堂か)を改変した本堂が残っているだけである。
本堂は、柱間七間の入母屋造の建物であり、屋根の傾斜が比較的緩い奈良時代の建物の特徴を表しているようである。
本堂の中には、円形の土壇があり、中央には薬師如来像が安置され、その周囲を奈良時代に作成されたと考えられる十二神将が取り囲んでいる。仏さまの世界をゾーンディフェンスで守っているというところだろうか。この十二神将像は、天平時代の優品であり、入江泰吉などの写真などでもよく知られていると思う。
躍動感のあるこれらの像は本当に素晴らしいし、素敵だ。
本堂の左手に、本坊へつながっている門があり、その傍らに會津八一の歌碑が建っている。
歌碑には、「ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の みそなはす とも あらぬ さびしさ」と自筆にて刻まれている。これは、會津八一が訪れた当時には、まだ見ることができた白鳳仏香薬師像を詠ったものである。
何となく前回取り上げた東大寺の時の歌とも似てそうな内容である。近づいて仰ぎ見ても、仏さまは自分をご覧になっているのか、見ていただいているのかわからない寂しさであることよという意味だろううか。
また、もう一首、香薬師に対して詠んだ歌が「南京新唱」には所収されている。
「みほとけ の うつらまなこ に いにしへ の やまとくにばら かすみて ある らし」
香薬師像の目をうつらまなこと称し、その目は、現在ではなく過去を見ているということなのだろうか?「うつらまなこ」という言葉が香薬師像を表すキーワードなのだろうか?
ちなみにこれらの歌に歌われた香薬師像は、白鳳仏の最高傑作と言われて国宝にまで指定されていたが、昭和18年に盗難にあい、我々の前から永遠に姿を消した。しかし、近年、その右手だけが見つかり、平成28年に新薬師寺に返還されている。残りの部分は以前姿を消したままである。
本坊では、十二神将像の彩色の再現のビデオが放映されていた。
新薬師寺は、萩の花の名所としても知られている。秋に来るとすごくきれいなんだろうなと思いつつ、お寺を後にした。
新薬師寺へは、ならまちから、あるいは春日大社から“ささやきの小径”を通っていくことになる。ささやきの小径を抜けてから、新薬師寺までのルートは、高畑さろんや志賀直哉旧宅などがあり、非常に閑静な住宅街の中を抜けていき、新薬師寺の周辺は、土塀のある住宅があり、いかにも京都とは違う古都、奈良を感じさせる場所である。観光地奈良もここまでくるとかなり、人が少なくなり、非常に静謐な空間となっている。
新薬師寺へは、南門から入っていくことになる。南門は、東門とともに鎌倉時代の建築であり、国の重要文化財に指定されている。
南門から入ると、正面に本堂がドーンと目に入る。新薬師寺の本堂も奈良時代の建築であり、国宝に指定されている。新薬師寺は、奈良時代、聖武天皇もしくは光明皇后が開基とされ、創建時には、七堂伽藍を備える立派な寺院だったようである。新薬師寺の近隣にある奈良教育大学の構内で、新薬師寺の金堂跡と考えられる建物跡が検出されている。その後兵火等により衰退し、奈良時代の建物としては、当時の何かの建物(食堂か)を改変した本堂が残っているだけである。
本堂は、柱間七間の入母屋造の建物であり、屋根の傾斜が比較的緩い奈良時代の建物の特徴を表しているようである。
本堂の中には、円形の土壇があり、中央には薬師如来像が安置され、その周囲を奈良時代に作成されたと考えられる十二神将が取り囲んでいる。仏さまの世界をゾーンディフェンスで守っているというところだろうか。この十二神将像は、天平時代の優品であり、入江泰吉などの写真などでもよく知られていると思う。
躍動感のあるこれらの像は本当に素晴らしいし、素敵だ。
本堂の左手に、本坊へつながっている門があり、その傍らに會津八一の歌碑が建っている。
歌碑には、「ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の みそなはす とも あらぬ さびしさ」と自筆にて刻まれている。これは、會津八一が訪れた当時には、まだ見ることができた白鳳仏香薬師像を詠ったものである。
何となく前回取り上げた東大寺の時の歌とも似てそうな内容である。近づいて仰ぎ見ても、仏さまは自分をご覧になっているのか、見ていただいているのかわからない寂しさであることよという意味だろううか。
また、もう一首、香薬師に対して詠んだ歌が「南京新唱」には所収されている。
「みほとけ の うつらまなこ に いにしへ の やまとくにばら かすみて ある らし」
香薬師像の目をうつらまなこと称し、その目は、現在ではなく過去を見ているということなのだろうか?「うつらまなこ」という言葉が香薬師像を表すキーワードなのだろうか?
ちなみにこれらの歌に歌われた香薬師像は、白鳳仏の最高傑作と言われて国宝にまで指定されていたが、昭和18年に盗難にあい、我々の前から永遠に姿を消した。しかし、近年、その右手だけが見つかり、平成28年に新薬師寺に返還されている。残りの部分は以前姿を消したままである。
本坊では、十二神将像の彩色の再現のビデオが放映されていた。
新薬師寺は、萩の花の名所としても知られている。秋に来るとすごくきれいなんだろうなと思いつつ、お寺を後にした。
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