休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

平群谷の古墳② ~西宮古墳~

2014-01-13 19:33:35 | 史跡を歩く
 ツボリ山古墳のある住宅地から尾根伝いに下って、南へ向かうと平群中央公園に出た。テニスコートやグラウンドなどの体育施設等があり、ここでちょっと遅い昼食を取った。道の駅で買った鶏ごぼうごはんがおいしかった。見ると公園の向かいにある住宅地にちょうど古墳らしき盛り上がりがあったので、あれが著名な西宮古墳かということで、その土まんじゅうをめざして歩いていくと、ブロックに囲まれた古墳を発見。んっ?これは何だ?

 

 藪の中に案内板があったので見てみると、栗塚古墳とあり平群町の史跡に指定されている古墳であった。
 ブロックで囲まれているので、墳丘に立ち入ることが出来なかったが、案内板によると、6世紀の中ごろに築造された円墳で、横穴式石室をもっているらしい。ただ、先ほどの状態であるため埋葬施設自体確認が出来なかった。

 

 ということは、これはめざしていた古墳ではないということで、改めて中央公園にもどると、公園に南側に隣接して開口している古墳を発見!見るからに3段築造の方墳であった。あまりに立派な様相にわくわくする気持ちを抑えきれず、懐中電灯を片手に古墳内部に侵入する。

 内部には、大きな石棺が1つ羨道のところに無造作に置かれている。石棺の横を擦り抜けて玄室にいたる。天井や奥壁、側面などきれいに切石で作られた石室であり、継ぎ目には漆喰が塗られているらしい。

 

 これは凄い。興奮度はすでにMAX。おそらく平群谷に築造された古墳の中では、一番新しいと思われ、7世紀中ごろに築造されたと言われている。実際、古墳が築造されている場所も、北に山を背負うという終末期古墳に特徴的な風水思想に基づいているように見える。もしかすると、この古墳については、この土地の他の古墳に埋葬されている一族とは違っているのかもしれない。

 
 
 実際、考古学者の河上邦彦氏は、西宮古墳については、延喜式の下記の記述を元に、西宮古墳の被葬者を、聖徳太子(厩戸皇子)王子、山背大兄王ではないかと述べておられる。この古墳の築造年代とも合致する。(ただし、宮内庁は、斑鳩町にある円墳を、山背大兄王の陵墓参考地とし管理している。)

 延喜式 諸陵寮
 平群郡北岡墓。【山背大兄王。在大和國平群郡,兆域東西三町,南北二町,墓戶二烟。】

 また、西宮という字名も、斑鳩宮の西にあるという意味ではないかと述べておられる。確かにこの西宮周辺には、飛鳥時代の建物と思われる遺跡も発掘されているそうだ。
 そういえば、平群には、聖徳太子の母、間人皇后も平群に埋葬されたという記述もあり、聖徳太子(厩戸皇子)をはじめとする上宮王家ゆかりの地であったのかもしれない。

 

 この古墳の周辺には、堀らしきものが廻らされており葺石らしきものも見ることができた。

 

 西宮古墳の、整美さ、雄大さは感動モノ。
 
 

 また、西宮古墳の近くに2号墳があるそうなのだが、残念ながら気づかなかった。

 平群谷の古墳めぐりは、このあと烏土塚古墳に向うことになる。

 
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