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JR二条駅を降りて、駅の前を南北に通る千本通を少し北へ上がると道路の左側に朱雀門跡を示す石碑が立っている。
朱雀門は、平安京の大内裏を造営した時に造られた十二門の一つで、朱雀門に南には、幅約70mもある朱雀大路が羅城門まで続いていた。ちなみに朱雀大路は、現在の千本通にあたる。
その朱雀門は、幅47m、奥行き14mもある朱塗りの柱で造られた壮大な楼門であったと言われている。平安宮の正門とも言える朱雀門であったが、度重なる火災等により大内裏の衰微により、正門としての役割も失い、あまりの荒廃ぶりに、鬼や盗賊が住み着くようになったと言われている。
朱雀門に住み着いた鬼については、いくつかの逸話が伝わっている。著名なのは、平安時代前期の公卿、紀長谷雄のことを描いた「長谷雄草紙」に出てくる鬼であろうか。
長谷雄草紙は、中世に紀長谷雄を主人公にした絵巻物で、その中に、朱雀門に住み鬼と双六の勝負をする話がある。双六の名手であった紀長谷雄は、朱雀門に住む鬼と自身の全財産と、絶世の美女とを賭けて、朱雀門の楼上で双六の勝負を行い、紀長谷雄が勝利した。その後、紀長谷雄の下に絶世の美女を連れた鬼が訪れ、百日間この女性に触れてはならないと言いおいて去っていった。
紀長谷雄は、最初は鬼の言葉を守っていたが、80日を過ぎた時に、残念なことに言いつけを破ってしまった。すると美女は水となって溶けて流れてしまったというものである。
やっぱ男はアホやねえっていう滑稽話ではあるのだか、この鬼、意外と風流を嗜むようで、琵琶や笛などにも秀でていたらしい。
「十訓抄」という中世の説話集には、天皇は大事にしていた玄象という琵琶が、朱雀門に住む鬼に盗まれ、それを取り戻すのに修法を行ったところ、鬼が返したという話や源博雅という人物が、朱雀門で笛を吹いていたところ、どこからともなく人が現れ、共に合奏をするようになった。きっと二人でそれはそれは気持ちよく演奏をしていたのだろう。何日かそういった日を過ごしたのち、鬼の使っていた笛を吹いてみると見事な音色が出って、お互いの笛を交換することとしたところ、ほどなく博雅が亡くなり、その後、笛吹の名人浄蔵というものに吹かせたところ見事な音色を奏でたため、朱雀門で再び奏でたところ、楼上にいた鬼から「博雅より上手」と拍手喝さいを受けたという。この笛が、葉二と呼ばれた笛であった。
源博雅、玄象、葉二つって夢枕獏の「陰陽師」ではないか。確かに、小説でも漫画でも、朱雀門の鬼から楽器を取り返す話があった。これらの話がモデルであったのだろう。
最後に、朱雀門は、永祚元年(989年)というと一条天皇の御世に倒壊し、以降再建されなかった。時代は、藤原氏の全盛時代に移っていくのである。
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