京都市内をぶらぶらと自転車で走っていた時、たまたま真如堂に行く途中に見つけた。密集した住宅街の中にあるので、ちょっとわかりにくい。
陽成天皇は、平安時代前期の天皇で、源頼朝などで知られる清和源氏の祖である清和天皇の第一皇子。母は藤原高子。876年清和天皇の譲りを受けて9歳で即位する。乱行が絶えず、884年宮中での殺人事件を契機に、関白藤原基経に廃され、祖父文徳天皇の異母弟である時康親王に譲位し、陽成院とされる。
上皇としての期間は65年で、歴代の中で一番長い。実は、光孝天皇、宇多天皇、醍醐天皇よりも長生きをしており、亡くなったのは醍醐天皇の皇子である村上天皇の時であった。
そんな経歴を持つ天皇であるが、小倉百人一首には、陽成院の下記の歌が採録されている。
「つくばねの峰よりおつるみなの川恋ぞつもりてふちとなりぬる」
この歌は、光孝天皇の皇女綏子内親王にあてて詠まれた歌だとされる。なかなか情熱的な歌である。ちなみに綏子内親王は、のち陽成天皇の妃となっている。
陽成天皇は、百人一首の一番、天智天皇の直系にあたる。平安時代に入り、桓武天皇につらなる系統であったのだが、この天皇でこの系統は終わり、次にこれも同じく小倉百人一首に採録されている光孝天皇の系統に移っていくことになる。
小倉百人一首に採録されている天皇を見ると、系統が絶えた時の天皇が多く採録されている気がする。三条院しかり、崇徳院しかりである。
陽成天皇は949年82歳の長寿を全うし、神楽岡の東の地に埋葬されたと伝わる。
その後不明となるも、文久の修陵の際、この地を陵墓とされ八角形に修補されている。
ここから真如堂までの道は、(紅葉の時期は別だが)観光客もあまり訪れない静かな街である。
いつまでもこの雰囲気のままに留めておいて欲しいなあ。
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