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令和元年8月31日(土)
ところどころ青空が見えるのに時折小雨が降る何とも言えない微妙な天気の中、京都府城陽市にある芝山遺跡の発掘調査の現地説明会が開催された。JR長池駅から遺跡に向かうのだが、少し道に迷ってしまい、会場に到着したのは11時を少し過ぎていた。全体の説明は終わってしまっていたのか、2つの調査区でそれぞれ個別に担当者の方が説明をされていた。
芝山遺跡は、新名神高速道路の建設のために発掘調査が行われているもので、今回で第19次の発掘調査になる。これまで奈良時代の掘立柱建物のほか、古墳時代の前期から後期にかけての古墳がこれまで32基検出されている。今回の発掘調査では、O地区で円墳3基、P地区で、円墳1基と方墳2基は検出された。
まず、O地区では、円墳が3基見つかっているが、古墳1、古墳2では埋葬施設も検出されている。古墳3は、周濠のみが検出されており、墳丘はすでに破壊されていた。
古墳1は直径19mの円墳で、その埋葬施設は木棺直葬で、石室等は設けられていない。ただ、棺に赤い顔料を使っていたのか、木棺があった部分の土に赤い色が残っている。よく見ると、黒い点が所々あるのだが、それは木棺の木の残りくずではないかとのことであった。
なお、埋葬施設では、副葬品の土師器や須恵器、鉄槍などが見つかている。
これらの副葬品は、もともとは木棺の中に収められていたが、木棺が腐ってなくなってしまい。そのまま土の中に残されたものであろうとのこと。
古墳1には、周濠が埋まった後に竪穴建物が建てられていた。
古墳1の北に古墳2があり、その間に竪穴建物が見つかっている。
古墳2も直径20mほどの円墳である。古墳1よりも少し遅れて築造されたらしい。
ここも木棺の直葬であり、石室等はなかった。ただ、今回の発掘調査で検出された古墳の中では、鉄刀や鉄槍、土師器や須恵器、土玉など一番多くのが見つかっている。
古墳3は周濠のみが検出。
続いてP地区。
P地区ではまず最初に掘立柱の建物跡が見つかっている。奈良時代のものであるらしい。
P地区の一番奥にあるのが、古墳4。一辺17mの方墳である。
周濠の東側から、須恵器や土師器が出土している。
古墳5も一辺10mほどの円墳。
この古墳も木棺直葬である。面白いのは古墳1と同様に周濠とかが埋まった後に掘立柱建物が建てられていること。この近くに道路状の遺構が見つかっているので、この奈良時代の建物は、道路上の遺構と関係がありそうである。
古墳6は一辺9mの方墳。ほとんどが破壊されている。
これらの古墳は5世紀の後半から6世紀の前半にかけて築造された古墳である。芝山遺跡から出土した古墳は、古墳時代の前期にまでさかのぼる前方後円墳が造られていたが、その後は、古墳の形が、方墳になり、そして6世紀には円墳が造られるようになっている。この芝山古墳群を構成していた豪族が徐々に力が衰えていった証拠であるとも言えそうだ。後期になって、畿内の群集墳などでは横穴式石室が導入されているのに、木棺直葬が続いているのは、新しい技術を導入する力がなかったのかもしれない。
そして、最後には、墓を守る力もなくなり、墳丘が削平、周濠が埋められ、新たに建物用地として土地活用したというところなのだろうか。
今回見つかった遺跡は、道路予定地でもあるので、いくらかは道路建設によって破壊されてしまうらしい。残念なことである。
この日は、城陽市の別の場所でも時間をずらした形で発掘調査の説明会が開催されるため、ほどほどでこの場を離れ次の場所に向かうことにした。日差しがだんだん厳しくなり、夏のようであった。
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