休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

北河内の古墳④ ~寝屋古墳と打上古墳群~

2017-03-28 07:13:31 | 史跡を歩く
 東寝屋川駅を線路に沿ってきたに行くと寝屋川公園がある。このときは、桜の開花にはまだ早い時期ではあったが、気候がよかったため多くの家族連れが公園に遊びに来ていた。目標の寝屋古墳は寝屋川公園の一番端。陸上競技場などのある所から少し奥に入る。そのためか訪れる人はあまりいない様子である。

 寝屋古墳の前には、鉢かつぎ姫が立っており、鉢かつぎ姫の由来が書かれていた。鉢かつぎ姫は、御伽草子にも載っている著名な説話で、僕も小学生の時に読んだ記憶がある。テレビのまんが日本昔ばなしでもやっていたかもしれない。その舞台が寝屋川なのだそうだ。

 

 鉢かつぎ姫の横の階段を上がるとすぐに寝屋古墳が見える。

 

 笹に覆われた墳丘の中に石室が顔を出しており、周囲をぐるりと周濠を復元したであろう空堀が巡っている。残念ながら、石室の入り口には柵がされていて石室の中には入ることができないようになっている。

 

 石室の中も笹が生えていて写真撮影も容易ではないのだが、手で笹をかき分けながら撮影を試みる。

 

 石室内はかなり土砂が入り込んでおり、かなり狭くなっているが、長さは5.5m、高さは2mはあったのではと考えられている。公園の一部として維持管理してるのであれば、せめて笹ぐらいは刈ってほしい。

 

 天井石はかなり大きく露出している部分で幅2mは越えてそうである。ただ内部については詳しい発掘調査はなされていない。また、現在残っているのは石室の玄室と呼ばれる部分であり、羨道部分は破壊されて残っていない。そういえば、石室の前にいくつか羨道を作るのにつかわれていたであろう石がいくつか散乱している。

 

 古墳の大きさは、直径22m、高さ5mほどの円墳と考えられており、葺石や埴輪は見つかっていない。こういった状況から考えると6世紀後半から7世紀初めに造られたのではないかと考えられている。
 そして、古墳のすぐ後ろの岡に上がると、マムシ注意の看板が・・・。こんなのどかな公園の中にもいてんの?そういえば、石の宝殿古墳の周りでもみたような、驚愕の事実である。

 

 寝屋古墳を見た後、再び東寝屋川駅の方へ戻って、駅前の道を西南へ少し歩く明和小学校前というバス停に前に、古墳らしき盛土と石室に使われた石材が無造作に置かれている場所がある。ここが打上古墳群と呼ばれる場所である。

 

 この周辺は、かつて八十塚などの地名で呼ばれていたところで、数多くの古墳があったようで、それらの古墳が耕地の開発などで破壊された後、残った石材がここに集められたようである。もともと古墳の石材を利用した祠があるので、ちょうど集めやすかったのだろう。

 

 古墳があったという痕跡が残る場所は、残念ながらここだけのようである。

 

 東寝屋川駅を起点とした古墳探索はここで終了。意外と寝屋川市文化財の案内・紹介がちゃんとしているのでよかった。鉢かつぎ姫に感謝です。

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