休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

高取町の古墳② 寺崎白壁塚古墳

2015-05-09 15:04:23 | 史跡を歩く
 与楽鑵子塚古墳から寺崎白壁塚古墳へ向かうのだが、古墳に至るまでのルートがちょっとした古墳探検のアトラクションを感じさせるものになっており、古墳だけではなく、そこに至るルートも紹介したい。

 与楽鑵子塚古墳の西側のルートをたどり竹藪に入っていく。これは、大丈夫なのか、どこか別世界に入り込んでしまうのではないかとちょっと不安になってしまう。竹藪の中の道の上を桜の花びらがたくさん落ちており、これが、道案内の役割を果たしてくれた。もう少し早い時期に来れば、桜の花が満開でこの辺りはものすごく美しかったのかもしれない。

 

 竹藪を歩いていくと、「寺崎白壁塚古墳」と書いた案内板を発見する。このルートで間違ってなかったんだということに安堵する。

 

 さらに竹藪の中を進んでいく。周りは竹しか見えない。ただ、ところどころ竹の子が顔を出していて、それが春を感じさせてくれる。今回、天気が良かったからいいものの、曇り空など天気が悪かったら、薄気味悪いかもしれない。魑魅魍魎が現れてくる感じである。

 しばらくすると、案内板があり、少し丘を登るようになっている。丘を登ったのち、また尾根上に山道を進んでいくことになる。足元に掘ったばかりであろうと思われる竹の子が転がっていた。ああ、もったいない!

 

 薄暗い山道を歩いていると突然、まばゆいばかりに視界が開ける。その先には・・・。

 「あったど~‼」

 寺崎白壁塚古墳を目前に捕捉。

 

 階段を駆け上がり、まずは古墳の前にある説明板があり、広い空間になっている。

 

 この辺りが、説明板で言う、長さ30m、幅9mもあるテラスと言われる部分なのだろうか。この後、白壁塚古墳という名称のもとになった横口式石槨を見るには、さらに階段を登っていかなければならない。

 

 横口式石槨については、開口はしているものの鉄柵が石槨の前室の部分の入り口にしっかりとはめ込まれており、外からの見学になる。
 ここで、寺崎白壁塚古墳のデータを少し記すと、南北に46m、東西60m、背面30m の台形の基壇(三段目)上に、一辺約30mの台形の墳丘下段(二段目)を造り、その上に方形一辺約16m の上段を造った方形墳と考えられていたが、近年に行われた発掘調査の際に、八角形墳を示す角が見つかっているため、八角形墳である可能性が出てきている。古墳の形態が、舒明天皇陵と考えられている段ノ塚古墳に似ているという話もある。
 山寄せの古墳になっており、立地としては、風水思想の影響を受けたと考えれる地形に築造されている。

 

 羨道と前室の長さは、合わせて8.1m、幅、1.6~1.9m、高さ1.6mとなっている。ちょうど羨道の石に腰掛けることができたので、墓室の入り口でお茶をしていたところ、ウグイスの軽やかな声が聞こえ、少し向こうには山桜だろうか白い花を咲かせている木があり、落ち着くロケーションとなっていた。

 注目の横口式石槨であるが、石槨部は長さ2.8m幅1.1m高さ0.9mを測り、6石で構成されており、石のつなぎ目には漆喰が埋め込まれている。こうしたことから、「白壁塚」と呼ばれたのであろう。

 

 今でも、漆喰が残っているのがわかる。石槨自体は、石英閃緑岩、いわゆる飛鳥石で作られている。飛鳥石は、岩屋山古墳や鬼の俎、雪隠古墳、益田岩船などでも使われており、7世紀中ごろまでの古墳ではよく使われた石材であるようだ。また、床面に敷いていたであろう榛原石も見つかっている。

 

 古墳自体は、付近にあった貝吹山城等の影響で中世に改変されており、かなり形は変わっているそうである。一般には7世紀の中ごろの築造と言われている。

 乾城古墳、与楽鑵子塚古墳、寺崎白壁塚古墳と3つが一緒に語られるのだが、見る限り、前記の2つの古墳とは明らかに様相が違うような気がする。一つは、東漢氏に代表される一族が、この時代まで先端技術を導入できるほどの力があったのかが疑問であるのと、もう一つは、古墳の作られた地形あるいは八角形墳の可能性を考えると皇族の誰かの墓所と考える方が適当なように感じられることである。

 貝吹山周辺には、小谷古墳、牽牛子塚古墳など大王墓と考えるべき古墳があり、寺崎白壁塚古墳も同じく貝吹山の周辺の丘陵を整地して造られている。この古墳もその一つと考えてもいいように思う。

 寺崎白壁塚古墳については、この古墳までの道も含めて一体のものと見たいなあ。これから、雑草が茂り、虫も出てくるので、夏になるとちょっと行くのが億劫になるだろうが、冬から春にかけては、ちょっと冒険気分を楽しめるルートになっているのではないだろうか。
 ここ数年の僕の古墳探検の中では、一番印象に残る古墳の一つである。できるだけこの雰囲気を残しつつ、保存をしていただければと思う。また、近くにサラタニ横穴と呼ばれる横穴墓があるらしいのだが、よくわからなかった。これは、今後の課題ということにしておきましょう。
 
 

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