休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

高取町の古墳③ 市尾墓山古墳

2015-05-12 07:13:03 | 史跡を歩く
 寺崎白壁塚古墳を見学の後、再び与楽鑵子塚古墳の横を通って、与楽の集落へ戻る。その後、市尾へ向かって、乾城古墳の前の三叉路を南へ進路を取った。山あいを抜けるコースで、30分はひたすら歩いたような気がする。途中、国道に出たのち、さらに南へ進む。廃校になった(?)小学校の横を抜けて歩いていくとレンゲ畑の向こうにひょうたんのような丘が見える。

 

 市尾墓山古墳と呼ばれる前方後円墳の古墳である。最近、整備されたのか非常に形がきれいになっている。後円部の方から入っていくと左手に、後円部の二段目に通じる通路が出来ている。この通路を登っていくと、横穴式石室がガラス越しに見ることができる。

 

 下の写真は、ガラス越しに何とか石室の内部を写すことができないか、苦労した成果である。

 

 まだ初期の頃の横穴式石室なのか、まだ小さい石を積み重ねて石室が作られており、奥には刳り抜き式の家型石棺が残っていた。石棺のふたの縄掛突起が大きく発達しているのが特徴である。残念ながら、石室の入り口がしっかりと鉄の扉があるので入ることはできない。ちなみに石室の全長は9.45m、玄室長5.9m、幅2.6m、高さ2.9m、羨道部の長さ3.5m、幅1.8m、高さ1.7mとなっている。これまで見てきた与楽鑵子塚古墳や乾城古墳などとはかなり様相が違う。確かに築造された時代も違うのだが、玄室の作り自体が違う。この辺りは、古代豪族である巨勢氏の勢力圏内であると考えられ、埋葬されているのも巨勢氏の首長ではないかと考えられている。

 せっかくの機会というか、通例なので墳丘に登って周囲を見渡してみる、西には二上山などの金剛山地の山々が見える。南には吉野の山々も見える。

 

 眺望はなかなかに良かった。

 墳丘は、全長66m、前方部幅49m、後円部径39m、となっており、周囲には幅8mと幅7mの外堤が巡っていたと考えられており、2段築造とのことで、離れてみると外堤部を含めて3段築造に見えるように造られていたらしい。前方部が発達しているのは後期の古墳の特徴を現しており、築造は、6世紀の初頭と考えられている。

 

 この古墳も、平成に入ってから大幅に修復復元をされています。まあ僕的には許容範囲ギリギリかな。あんまり行き過ぎた整備はどうもね。ただ、前方部の南側の角が崩れているように見えるのだが、これは意図してもののなのだろうか。少し気になる。

 

 市尾墓山古墳のすぐそばを、古代の幹線道路である紀路が通っている。古代の道路と古墳の関係というのも気になるところである。

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