テレビアニメ魂 山崎 敬之著 講談社現代新書
愛媛に向かう際、新幹線の中で読んだ本である。最近にしては珍しく一気に電車の中で読了してしまった。これは面白い本が少なくなったのか?私の読書力が落ちているのか?
本書は、テレビアニメ創世記のころのことを東京ムービーに籍を置いた作者がアニメ番組の創作秘話などを体験を中心に語っている。本書によると作者がかかわったアニメは、「巨人の星」に始まり、「オバケのQ太郎」「天才バカボン」「アタック№1」比較的新しいところでは「それいけ!アンパンマン」などなどである。
まず、初めに「巨人の星」の最終回をどうするかという話から始まる。私自身「巨人の星」はリアルタイムでは見ていないと思う。ただ、最終回、旧友伴宙太に対し大リーグボール3号を投げ、左腕を破壊し、再起不能になるというシーンだけは覚えている。(のち大人になってから、漫画を全巻そろえて読んだ。)その悲劇的最後が印象的だったのだろう。だが作者によると星飛雄馬は最後マウンド上で息絶えることになっていたという。スポンサーの声で覆ったということであるが、後々考えてみるとそのほうが良かったような気がする。巨人の星のテーマは親子の戦いである。最後子のほうが死んでしまったら、身もふたもないような気がする。最後、自分の左腕を犠牲にした息子に対して、父一徹が息子に、見事に父との勝負に打ち勝ったのだと告げるほうがいいと思う。
しかし、今思えば「巨人の星」とはすごいアニメで、のち笑い話のねたになるような場面もあるが、アニメで新機軸をいろいろ打ち出していたし、その後のプロ野球人気にしても「巨人の星」によるところは大きかったような気がする。同じ野球アニメ「ドカベン」や「男どアホウ甲子園」なんてすっかり忘れられていることからしても「巨人の星」のすごさが想像出来る。
考えれば、梶原一騎という原作者はすごいなあ。大仰な世界観ではあるのだがどうも読むものをひきつけるものがあった。まあ、晩年はめちゃくちゃだったけど。最終回の盛り上がりはすごいものがあった。特に主人公が悲劇的な最後を必ず迎えるのである。(侍ジャイアンツでは、本当に主人公番場蛮をマウンド上で殺してしまった。)主人公の悲劇的な最後を予感させつつ最終回を迎えるのである。時代がなせる業だったのか。
この本を読むと、原作にはテレビアニメ制作側のアイデアも取り入れられていたことがわかる。消える魔球がそうだったとは。消える魔球は流行ったなあ。野球盤ゲームにも取り入れられていた。
そのほかでは、再放送で人気の出たアニメとして「天才バカボン」「ルパン三世」を上げている。この手のアニメとして「宇宙戦艦ヤマト」が有名である。(ヤマトの場合裏番組が「アルプスの少女ハイジ」という番組であったということもあったろうが。)しかし、「天才バカボン」、もそうだったとは。私はリアルタイムで見てました。個人的には最初の方が好きです。「ルパン三世」はちょっとませた子どもが背伸びをして見てました。しゃれた感じで、かっこよかったけど、受け入れられるまでには時間がかかったろうと思う。
「ルパン三世」最近は持ち上げられすぎて、ちょっとなあという気がしてます。でも最近、夕方の再放送タイムがなくなったのは少しさびしいですね。子どもたちがそんな時間がないということなんでしょうか。
「オバケのQ太郎」はスポンサーの都合で終わったそうです。私は、「新・オバケのQ太郎」世代です。私の子どものころは、「ドラえもん」より「オバQ」「怪物くん」などのほうが人気があったんですが、モノ世代には次々に道具が消費されていく「ドラえもん」の方がいいのかな。そしてスポンサーとのタイアップ。「鉄腕アトム」のころからあったんですが、最近のように露骨なのはちょっとなあ。ちょっと興ざめ。そして主題歌、昔は作品の世界観を現していたのに、最近はぜんぜん関係なし。番組と歌がぜんぜん結びつかなくなってしまった。(中には本書に出てくる「はじめ人間ギャートルズ」エンディングのようにとんでもない歌も出てくるんだけど。)東京ムービーではないのだが手塚アニメは音楽をすごく意識していたと思う。ディズニーを目指していたのだから、当然といえば当然だが。
最後に昔のアニメはすごく面白かったと思う。最近のはどうも一部のマニア受けになって間口の狭さを感じてしまう。大人が安心して見せれるものが非常に少なくなっていると思う。そして開拓者の意気込みが見え隠れしている。子どもの見るものだからと甘く見ているものも少ない。漫画もそうだけど見た目は、繁栄しているようだが実際は過去の財産を食いつぶしているだけという風にも見える。昔、手塚治虫が漫画の中で、漫画の神様が外見はいいものを着ているが、中はやせっぽっちという話を書いていた。頑張って神様を太らせてあげてください。
愛媛に向かう際、新幹線の中で読んだ本である。最近にしては珍しく一気に電車の中で読了してしまった。これは面白い本が少なくなったのか?私の読書力が落ちているのか?
本書は、テレビアニメ創世記のころのことを東京ムービーに籍を置いた作者がアニメ番組の創作秘話などを体験を中心に語っている。本書によると作者がかかわったアニメは、「巨人の星」に始まり、「オバケのQ太郎」「天才バカボン」「アタック№1」比較的新しいところでは「それいけ!アンパンマン」などなどである。
まず、初めに「巨人の星」の最終回をどうするかという話から始まる。私自身「巨人の星」はリアルタイムでは見ていないと思う。ただ、最終回、旧友伴宙太に対し大リーグボール3号を投げ、左腕を破壊し、再起不能になるというシーンだけは覚えている。(のち大人になってから、漫画を全巻そろえて読んだ。)その悲劇的最後が印象的だったのだろう。だが作者によると星飛雄馬は最後マウンド上で息絶えることになっていたという。スポンサーの声で覆ったということであるが、後々考えてみるとそのほうが良かったような気がする。巨人の星のテーマは親子の戦いである。最後子のほうが死んでしまったら、身もふたもないような気がする。最後、自分の左腕を犠牲にした息子に対して、父一徹が息子に、見事に父との勝負に打ち勝ったのだと告げるほうがいいと思う。
しかし、今思えば「巨人の星」とはすごいアニメで、のち笑い話のねたになるような場面もあるが、アニメで新機軸をいろいろ打ち出していたし、その後のプロ野球人気にしても「巨人の星」によるところは大きかったような気がする。同じ野球アニメ「ドカベン」や「男どアホウ甲子園」なんてすっかり忘れられていることからしても「巨人の星」のすごさが想像出来る。
考えれば、梶原一騎という原作者はすごいなあ。大仰な世界観ではあるのだがどうも読むものをひきつけるものがあった。まあ、晩年はめちゃくちゃだったけど。最終回の盛り上がりはすごいものがあった。特に主人公が悲劇的な最後を必ず迎えるのである。(侍ジャイアンツでは、本当に主人公番場蛮をマウンド上で殺してしまった。)主人公の悲劇的な最後を予感させつつ最終回を迎えるのである。時代がなせる業だったのか。
この本を読むと、原作にはテレビアニメ制作側のアイデアも取り入れられていたことがわかる。消える魔球がそうだったとは。消える魔球は流行ったなあ。野球盤ゲームにも取り入れられていた。
そのほかでは、再放送で人気の出たアニメとして「天才バカボン」「ルパン三世」を上げている。この手のアニメとして「宇宙戦艦ヤマト」が有名である。(ヤマトの場合裏番組が「アルプスの少女ハイジ」という番組であったということもあったろうが。)しかし、「天才バカボン」、もそうだったとは。私はリアルタイムで見てました。個人的には最初の方が好きです。「ルパン三世」はちょっとませた子どもが背伸びをして見てました。しゃれた感じで、かっこよかったけど、受け入れられるまでには時間がかかったろうと思う。
「ルパン三世」最近は持ち上げられすぎて、ちょっとなあという気がしてます。でも最近、夕方の再放送タイムがなくなったのは少しさびしいですね。子どもたちがそんな時間がないということなんでしょうか。
「オバケのQ太郎」はスポンサーの都合で終わったそうです。私は、「新・オバケのQ太郎」世代です。私の子どものころは、「ドラえもん」より「オバQ」「怪物くん」などのほうが人気があったんですが、モノ世代には次々に道具が消費されていく「ドラえもん」の方がいいのかな。そしてスポンサーとのタイアップ。「鉄腕アトム」のころからあったんですが、最近のように露骨なのはちょっとなあ。ちょっと興ざめ。そして主題歌、昔は作品の世界観を現していたのに、最近はぜんぜん関係なし。番組と歌がぜんぜん結びつかなくなってしまった。(中には本書に出てくる「はじめ人間ギャートルズ」エンディングのようにとんでもない歌も出てくるんだけど。)東京ムービーではないのだが手塚アニメは音楽をすごく意識していたと思う。ディズニーを目指していたのだから、当然といえば当然だが。
最後に昔のアニメはすごく面白かったと思う。最近のはどうも一部のマニア受けになって間口の狭さを感じてしまう。大人が安心して見せれるものが非常に少なくなっていると思う。そして開拓者の意気込みが見え隠れしている。子どもの見るものだからと甘く見ているものも少ない。漫画もそうだけど見た目は、繁栄しているようだが実際は過去の財産を食いつぶしているだけという風にも見える。昔、手塚治虫が漫画の中で、漫画の神様が外見はいいものを着ているが、中はやせっぽっちという話を書いていた。頑張って神様を太らせてあげてください。