休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

念仏寺山古墳(開化天皇陵)

2015-08-24 00:07:54 | 史跡を歩く
 JR奈良駅を降りて、3条通りを東に行くとしばらくして、ホテルや飲食店等の間に、「開化天皇率川坂上陵」と書かれた制札を見つけることができる。開化天皇という天皇については、あまり知られていない。古事記や日本書紀では、9代目の天皇と伝えられ、春日率川宮にて国を治めたと伝えられる。しかしながら、開化天皇についても、記紀の記述において、帝紀は存在するが旧辞がない、いわゆる欠史八代と呼ばれる天皇たちの一人である。欠史八代にあたる天皇については、実在性が疑われている。
 開化天皇に治定されている念仏寺山古墳については、拝所のある南側に前方部がある。

 

 地図等で確認をするとかなり形は崩れているものの前方後円墳であり、周囲を周豪が囲っているのがわかる。ただし、都市部の古墳にありがちなように古墳の際一杯まで民家等が迫っているので、周囲を回っての観察ができない。
 データを言うと、墳長105m、前方部幅60m、後円部径48m、後円部高8.5mとなっている。また、古墳自体は宮内庁の管轄に置かれているため、詳しいことはわからないが、外形上から考えて、古墳時代の中期から後期にかけて築造されたのではないかと言われている。そうであれば、このころの大王級の墳墓は、古市、百舌鳥古墳の方へ移っており、この古墳が大王墓であることは、少々ありえないようである。

 

  この古墳の周囲には、他の古墳が見当たらず単独古墳であったように見えるが、実際のところ、近年の発掘調査よれば、破壊、削平されたいくつかの古墳が見つかっており、率川古墳群というもの形成していたと考えられている。また、古墳がある辺りというのは、平城京の外京にあたる。そうした位置関係の中でも現在まで破壊されることなく現在まで残っている。何らかの意味があったのかもしれない。

 

 三条通りには多くの観光客等でにぎわっているが、この古墳に興味を持つ人はほとんどいないようであった。

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