
平成28年10月15日(土)
昨年に引き続き、京都は向日市にある五塚原古墳の発掘調査に行って来た。五塚原古墳の発掘調査については、平成12年から行われており、今回で8回目となる。これまでの7回の成果としては、①墳丘の構造が、後円部3段、前方部2段であること。②前方部の形状がバチ形であること。③斜面の途中に「斜路状平坦面」を備えていること。また以上の特徴が、箸墓古墳と共通したものであることが確認され、最古式の前方後円墳のひとつであることが明らかになったことがあげられる。これまでは、向日丘陵の古墳の編年としては、元稲荷古墳⇒五塚原古墳⇒寺戸大塚古墳とされていたが、五塚原古墳⇒元稲荷古墳⇒寺戸大塚古墳の順に考えられるようになっている。
さて、今年度であるが、昨年度の調査区とは反対側、南西側の調査を行っている。
【第1調査区】
第1調査区は、墳丘の南北の中心線から西へ90度傾いた方向に設定されている。

第1調査区については、調査区に沿って見学用に階段が設けられていた。墳丘の斜面は、墳頂までの間に、途中2カ所の平坦面が設けられており、3段で築造されている。

葺石は、斜面の上半部は、脱落して下に落ちている。また、斜面の下半分には遺存している。各段には基底石も見ることができる。また基底石の外側には礫敷きが1.5m幅で設けられている。
また、今回の発掘調査では、第1調査区の一番西側の墳丘から遠いところで埴輪棺が見つかっている。

この埴輪棺については、朝顔型埴輪を転用して作られており、また、埴輪棺の周囲には配石で埋葬施設が作られている。埴輪棺で使用された埴輪については、妙見山古墳に使われた埴輪の特徴と似ており、おそらく妙見山古墳から持ってきたのではないかと考えられている。

埴輪棺の写真が、木漏れ日で見にくくなってしまった。このような埴輪棺を使った周辺埋葬が見られる古墳としては、同じく向日丘陵にある伝高畠陵古墳でも見つかっている。
【第2調査区】
第2調査区は、墳丘の南北中心線から西へ135度の方向に設定している。

墳丘の勾配については、前回の調査の時と同様に、急角度で立ち上がり途中から緩傾斜になっている。

墳丘の外側には、礫敷きが敷かれている。

今回の調査では、本墳の築造時期にかかわる遺物は見つかっていない。これまでの調査でも埴輪などは見つかっておらず、五塚原古墳については、埴輪は持ちいられていなかったと考えられている。また、埴輪棺については、本墳の近くに所在した妙見山古墳で見つかった埴輪と同じものと考えられ、妙見山古墳へ供給するために作られたもので4世紀中葉頃の製作である可能性が高いと見られている。

また、埴輪棺については、鍾分の築造後にその被葬者の家族や親族を古墳の周辺に葬る「周辺埋葬」に該当するものであるという。なお、埴輪棺の埋葬空間が、長さ80㎝程度であることから埋葬されたのは子どもか改葬骨ではないかとのこと。また周辺埋葬は、主墳築造後1から2世代の範囲で埋葬を終えるのが多いそうだが、今回は、3世代ほど離れていた可能性もあるとのことである。
少なくとも今回の発掘で妙見山古墳の被葬者と五塚原古墳と被葬者については、何らかの関係あるとできそうである。このことから、埴輪棺の埋葬者は、五塚原古墳の埋葬者の直系の子孫なのかもしれないね。五塚原古墳の系譜と妙見山古墳のそれとは直接の繋がりはなく、五塚原古墳の周辺に埋葬されておる埴輪棺の人物が両方の血を受け継いでいるのかもしれない。そう考えると少しロマンを感じてしまうなあ。
昨年に引き続き、京都は向日市にある五塚原古墳の発掘調査に行って来た。五塚原古墳の発掘調査については、平成12年から行われており、今回で8回目となる。これまでの7回の成果としては、①墳丘の構造が、後円部3段、前方部2段であること。②前方部の形状がバチ形であること。③斜面の途中に「斜路状平坦面」を備えていること。また以上の特徴が、箸墓古墳と共通したものであることが確認され、最古式の前方後円墳のひとつであることが明らかになったことがあげられる。これまでは、向日丘陵の古墳の編年としては、元稲荷古墳⇒五塚原古墳⇒寺戸大塚古墳とされていたが、五塚原古墳⇒元稲荷古墳⇒寺戸大塚古墳の順に考えられるようになっている。
さて、今年度であるが、昨年度の調査区とは反対側、南西側の調査を行っている。
【第1調査区】
第1調査区は、墳丘の南北の中心線から西へ90度傾いた方向に設定されている。

第1調査区については、調査区に沿って見学用に階段が設けられていた。墳丘の斜面は、墳頂までの間に、途中2カ所の平坦面が設けられており、3段で築造されている。

葺石は、斜面の上半部は、脱落して下に落ちている。また、斜面の下半分には遺存している。各段には基底石も見ることができる。また基底石の外側には礫敷きが1.5m幅で設けられている。
また、今回の発掘調査では、第1調査区の一番西側の墳丘から遠いところで埴輪棺が見つかっている。

この埴輪棺については、朝顔型埴輪を転用して作られており、また、埴輪棺の周囲には配石で埋葬施設が作られている。埴輪棺で使用された埴輪については、妙見山古墳に使われた埴輪の特徴と似ており、おそらく妙見山古墳から持ってきたのではないかと考えられている。

埴輪棺の写真が、木漏れ日で見にくくなってしまった。このような埴輪棺を使った周辺埋葬が見られる古墳としては、同じく向日丘陵にある伝高畠陵古墳でも見つかっている。
【第2調査区】
第2調査区は、墳丘の南北中心線から西へ135度の方向に設定している。

墳丘の勾配については、前回の調査の時と同様に、急角度で立ち上がり途中から緩傾斜になっている。

墳丘の外側には、礫敷きが敷かれている。

今回の調査では、本墳の築造時期にかかわる遺物は見つかっていない。これまでの調査でも埴輪などは見つかっておらず、五塚原古墳については、埴輪は持ちいられていなかったと考えられている。また、埴輪棺については、本墳の近くに所在した妙見山古墳で見つかった埴輪と同じものと考えられ、妙見山古墳へ供給するために作られたもので4世紀中葉頃の製作である可能性が高いと見られている。

また、埴輪棺については、鍾分の築造後にその被葬者の家族や親族を古墳の周辺に葬る「周辺埋葬」に該当するものであるという。なお、埴輪棺の埋葬空間が、長さ80㎝程度であることから埋葬されたのは子どもか改葬骨ではないかとのこと。また周辺埋葬は、主墳築造後1から2世代の範囲で埋葬を終えるのが多いそうだが、今回は、3世代ほど離れていた可能性もあるとのことである。
少なくとも今回の発掘で妙見山古墳の被葬者と五塚原古墳と被葬者については、何らかの関係あるとできそうである。このことから、埴輪棺の埋葬者は、五塚原古墳の埋葬者の直系の子孫なのかもしれないね。五塚原古墳の系譜と妙見山古墳のそれとは直接の繋がりはなく、五塚原古墳の周辺に埋葬されておる埴輪棺の人物が両方の血を受け継いでいるのかもしれない。そう考えると少しロマンを感じてしまうなあ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます