神光寺を出て、道路に出るとすぐに道路に面して、横穴式石室が開口している古墳がある。
これが、服部川7号墳で、高安千塚古墳群の中でも最大級の古墳である。
羨道も広いので、少し腰をかがめるだけで入れるし、比較的見つけやすい所にあるので、数多い高安千塚古墳群の古墳の中でも最もよく知られている古墳の一つであろう。
石室の中も大きく、玄室の中の広さはおよそ畳9畳分とのこと。
古墳の大きさは、直径22mの円墳で、石室は全長11.17m、玄室長4.9m、幅2.9m、高さ2.75m、羨道長6.5m、幅1.95m、高さ1.75mを測り、右片袖式である。ここでも長方形プランで作られているようだ。
また、結構大きな石が使われており、石室の巨大化が進んだ頃、6世紀の後半頃に造られたのだろう。
また、この古墳は明治時代、大森貝塚の発見でも知られるモースがこの古墳のスケッチを残していることでも知られる。この辺りを、日本の考古学の発祥の地ぐらいのことを言ってもいいのかもしれない。(笑)
周りにいろいろと個性的な古墳が多いからか、この古墳についてあんまり写真を撮っていない。また、近いうちにここもリベンジしないと。
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