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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

朝墳活IN纏向② ~ホケノ山古墳~

2024-08-05 22:42:23 | 古墳紀行
 箸墓古墳をぐるっと一周をした後、大池の傍まで近づいて箸墓古墳の全景を写してみた。
 
 
 この辺りから見る箸墓古墳の姿が一番きれいだなあと思う。
 古墳にもどうやら一番見せたい姿というものがあるような気がする。ただ、後円部の方がかなり高いので、頭でっかちのように見える。まあ、最初の古墳だからね。これから徐々に古墳の形も徐々にスマートになっていくのだろう。
 さて、ここからは、ふたたび後円部のすぐ傍らを通る下つ道を渡って、今度はホケノ山古墳をめざすことにする。

 
 
 ホケノ山古墳へは、後円部から集落を抜けて、JR万葉まほろば線を渡って歩いていく、その距離は、500mもない位ではあるが、ホケノ山古墳と箸墓古墳の間には、弥生時代と古墳時代との境をめぐる境界線のようなものがあるようなイメージがある。それを形にしたのが万葉まほろば線かな。(どうも万葉まほろば線というよりも桜井線という名称の方がなじみ深いのだが・・・。)

 

 万葉まほろば線を渡って振り返ると箸墓古墳の姿が。よく見ると倒木などのため、所々地面が見えている所があるのが少し痛々しい。
 線路を渡って、真っ直ぐいくと国津神社という小さな神社があった。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊という神様を祀っている。確か邇邇芸命のお父さんであったように記憶している。
 

 そのほか、天穂日命や天津彦根命なども祭神としている。

 

 この神社の背後には、宮ノ前古墳と堂ノ後古墳がある。少し寄り道をして堂ノ後古墳に行ってみた。

 
 
 ここは、いつもきれいに整備されていて本当に頭の下がる思いである。堂ノ後古墳は、一見円墳のように見えるが、近年の調査で前方部が検出され、前方後円墳と考えられている。ただし、奈良県の遺跡地図では、径35mの円墳のままである。

 
 
 この古墳も墳丘に登ることができるが、さすがに雑草が多く、今回は辞めることにした。ここからは箸墓古墳の姿がよく見える。
 堂ノ後古墳については、5世紀後半の築造と箸墓古墳やホケノ山古墳からは200年ほど後に造られたものと考えられてはいるが、わざわざ両古墳の間に造ったのだろうか?
 もしかしたら、両古墳の被葬者との関係を強調するためにこの場所に築造されたのかもしれない。

 
 
 堂ノ後古墳から直接ホケノ山古墳へ抜ける道がないかと探すも見つからず、元の道を引き返し、神社の横からホケノ山古墳へ向かうことにした。

 

 ホケノ山古墳は、箸墓古墳に先行する古墳であり、3世紀後半の築造と考えられている。先に古墳と述べたが、この古墳については、古墳と見るのか墳丘墓とみるのかいまだに定説を見ない。古墳時代は、いつから始まるのか興味は尽きない。

 
 ホケノ山古墳も墳丘の上に登ることができるのだが、今回は先を急ぐのでパスする。
 
 

 ホケノ山古墳については、今回は気温の関係もあるし、できるだけ早いうちに動いて、涼しい間に他の古墳へ行きたいという事で、墳丘は登ることは断念して次に向かうことにしよう。
 見あげるとまだまだ空の色が透き通るように碧い。何とか行燈山古墳まではたどり着きたい。



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