休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

今出川通界隈② ~慈照寺銀閣~

2013-06-16 01:33:31 | 史跡を歩く
 初夏の京都は、修学旅行生や観光客でいっぱい。哲学の道から銀閣寺の山門までの参道は、ご多聞にもれず人が溢れかえっていた。日本全国、世界中からの人が集まっているような感じである。

 

 ちょっと、人波が途切れた時に撮影。

 考えてみれば、銀閣寺に来るのもほんと久しぶり。学生の時以来かも知れない。20数年ぶりに訪れたことになる。
 銀閣寺というのは、通称で、正確には慈照寺という名称が正しい。室町時代後期、8代将軍足利義政が造営した東山山荘を、義政の死後、菩提を弔うためにお寺とされた。東山文化という文化史上の区分も、慈照寺銀閣に代表されることから来ている。

 

 これが、観音堂、いわゆる銀閣と呼ばれる建物である。足利義満が建てた鹿苑寺金閣に対抗して、銀箔をはりめぐらせる予定だったと言われているが、どうだろう?銀箔をはった姿を想像すると、俗物的過ぎて嫌だなあ。ちょっと枯れたように見えるところに良さがあるような気がするのだが。

 

 方丈のところにある窓から、庭園を写す。なんかいいぞ。

 

 そして、銀沙灘、向月台を前にして銀閣を望む。この2つの白砂を積み上げた砂盛。いったい何を思って作られたのだろうか?月明りを反射して非常に美しく輝く写真を見たことがある。確かに海岸の波打ち際のように見えた。しかし、それだけのためにどこからか砂を運んできたのだろうか?調べてみると、この銀沙灘、向月台については、どうやら創建当時にはなかったものなのだそうだ。江戸時代になってから忽然と現れたものなのだそうだ。砂自体も、池に溜まってきた砂をすくって積み上げたものとも言われている。なんとリサイクル品!であった。銀閣と言えば、銀沙灘、向月台抜きでは考えられないほどマッチしている。それを作ろうとした無名の寺僧?庭師?のセンスすごいものだと思う。銀沙灘、向月台がアバンギャルドな雰囲気を作っているような気がする。

 方丈の縁側に腰掛けながら、そんなことを考えた。こんな感じ

 

 ここには、もう一棟、有名な建物がある。東求堂である。書院造の源流だと言われ、銀閣と並んで国宝に指定されている。

 

 

 銀閣も東求堂も中には入れないのだが、庭園を巡りながら建物を眺めているだけで十分美しい。

 少し、高台に登って、全体を眺める。

  

 このルートは昔はなかったような気がする。

 そして、錦鏡池越しに眺める。庭園や木々の緑に映えて美しい。

 

 「美しい日本の私」みたいな気分になる。

 順路は、いつの間にか新しく建てられた土産物店を通る。なかなかあざといなあ。一気に俗っぽくなってしまった。せっかくなのでお線香を一つ購入した

 この日は、銀閣寺前からバスに乗って、祇園に出ることにした。

 八坂神社に行ってみると、結婚式をしていた。

 

 境内に平忠盛寄進の燈籠があるのだが、位置が昔と変わったか?もっと鎮守の森の中にあった気がするのだか。

 

 大河ドラマの影響何だろうかなあ。

 そういえば、境内にこんなものもありました。

 

 美人になる水なんだそうです。何とも商売上手な。

 久しぶりに京都をぶらぶらと散策。やっぱりいいなあ。
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