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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

乙訓古墳群を歩く ② ~向日神社と元稲荷古墳~

2016-10-31 18:28:31 | 史跡を歩く
 物集女街道を南へしばらく行くと、向日市埋蔵文化財センターの前を通り過ぎて向日神社の参道と交差する地点に出る。
 
 

 そこから、向日神社に参道を通って向かうことにした。訪れた時は、ちょうど紅葉の季節で赤やら黄色やら参道の樹々が鮮やかに紅葉しており、なかなか美しい景色であった。

 

 向日神社は、向日神、火雷神、玉依姫命、神武天皇を祭神としており、延喜式にも見える古社である。また、神社の本殿は、応永25年に作られた流造のものであり、国の重要文化財に指定されているが、直接目にすることはできない。拝殿などは国の登録文化財になっている。ちなみに明治神宮の本殿は向日神社の本殿をモデルに作られたらしい。

 

 また、神社に隣接して桜の苑と呼ばれる場所があり、水上勉氏の小説「櫻守」と関連するものであるらしい。

 向日神社に隣接して、勝山公園があり、その中に元稲荷古墳がある。

 

 元稲荷古墳は、3世紀紅葉の前方後方墳である。向日丘陵の古墳としては、五塚原古墳の次に作られた古墳である。本によっては、書かれた時期によって元稲荷古墳が向日丘陵で一番古い古墳となっているが、現在は、五塚原古墳⇒元稲荷古墳という順番が通説みたいである。

 

 元稲荷古墳の全長は、98m、後方部長50m、後方部幅50m、前方部前端幅47mとなっている。墳丘に登ってみると、どことなく前方部が四角く見える。惜しむらくは前方部には給水塔が設置されており、竪穴式石室が破壊されていると思われること。

 

 古墳のくびれ部の所に天井石らしき石がいくつか残っている。また向日市文化資料館の前にも元稲荷古墳の天井石と伝えられる石が残っている。

 

 また、前方部にも竪穴式石室が埋葬施設として見つかっている。前方部の竪穴式石室については、寄棟風の家形をしており、王権中枢部とのつながりを想定させるものであるという。また、五塚原古墳では見られない特殊器台型埴輪も見つかっており、この古墳がかなり初期の段階での築造された古墳であることを示してそうである。

 

 最後に、元稲荷古墳には「同型墳」と言われる古墳が存在する。神戸市にある西求女塚古墳で、計測値がほぼ同じであり、同じモデルプランのもと築造されたのではないかと言われている。同型墳が存在するということは、モデルプランの関係によってヤマト王権との関係の親疎を表示していると考えられると言われている。向日丘陵の古墳を築いた一族は比較的早いうちから王権と繋がっていた。それもかなりの位置を占めていたと考えられそうである。

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