京都国立博物館で、著名な国宝鳥獣戯画が展示されるということで、是非とも見てみたいという想いがにわかに沸き立ち、一路京都へ向かった。京都へ行くには、おけいはんというわけで京阪特急に乗り、京阪七条駅に降り立ったのはお昼の1時すぎだった。11月初めの三連休の最終日ということで、どどっと観光客で溢れ返っているのかと思いきや意外と人が少なく、七条通を東へ、京都国立博物館へ向かって歩き始めた。しばらくして京都国立博物館の赤煉瓦の塀に沿って歩いていくと、入場券売り場の前に出る。入場券を自動販売機で購入した後、博物館の域内に入る。
入ってビックリ長蛇の列。90分待ちとのこと。2年ほど前に「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」を見に行った時もかなり並んだが、その時以来という人出であった。
この日は、珍しく同道した奥さんと一緒だったので、ボツボツ話をしながら並んでようやく博物館の中に入ったのは、3時前だった。
今回の展示は、大きくは4つのテーマに分かれている。
Ⅰ 高山寺の開創 ~華厳交流の道場~
Ⅱ 明恵上人 ~人と思想~
Ⅲ 高山寺の典籍 ~写本・版本の収蔵~
Ⅳ 鳥獣人物戯画 ~楽しみあふれる絵巻~
Ⅰ~Ⅲの展示については、多いといっても比較的ゆったりと見ることができた。国宝の明恵上人の樹上坐禅像もしかりである。言い伝えでは、明恵は、画家のコッポよろしく、修行の妨げになるからと自分の右耳を自ら切り落としたと言われている。残念ながら絵画の明恵上人は、ななめを向いていてわからなかった。明恵上人について、少し記してみよう。生没年は、1173~1232年ということで、鎌倉時代に活躍した僧侶である。後鳥羽上皇より栂尾山を賜り、高山寺を開いたといわれる。浄土宗や浄土真宗といった鎌倉新仏教が興隆する中、奈良仏教である南都六宗の一つである華厳宗を再興した人物である。日本の歴史上の高僧で、唯一、一生不犯で通した人だと言われている。また、明恵が開いた高山寺は、京都の西、洛西の山の中にあり、お寺のある栂尾は、高雄、槇尾とあわせて三尾と呼ばれ、紅葉の名所として知られている。高山寺については、残念なことに一度も足を踏み入れたことがない。栂尾というと、「京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた 女が一人」という歌を思い出す。しかしながら、最近は、京都の観光地を歩いてもこの歌を聞かなくなった。話を戻そう。高山寺である。何故にこんな京都の山奥とも言える場所にある寺院が、栄えていたのか疑問だったのだが、この展示を見て、やっと気付いた。五摂家の一つ鷹司家とかかわりがあったのだ。なるほど。そして、この高山寺に伝わってるのが、今回の展示のメイン、「鳥獣人物戯画」である。
鳥獣人物戯画については、鳥羽僧正覚猶の筆とされ、12世紀の後半に作成されたといわれる。但し、鳥羽僧正は、1140年には亡くなっているので、この作成年代を当てはめると鳥羽僧正の作とは言えないようである。また、全部で4巻あるが、すべて同一人物が書いたとは思えない。今回の展示を見ていても、明らかに甲巻と丁巻では、筆致が違うのがわかる。有名なのは、蛙と兎の擬人化した絵で知られる甲巻と丙巻が良く知られている。僕自身、小さい頃家にあった子ども用の古典文学全集の裏表紙の画が鳥獣戯画で、蛙と兎が相撲を取っているところのものであった。そういったことから、なじみの深い絵である。
また、鳥獣人物戯画をマンガの始まりとされている。確かに初期のころの漫画は、社会を風刺したものが多く、鳥獣人物戯画においてもそういった側面が見られることから、漫画の淵源とは言えそうな気がする。但し、今のマンガは、ストーリー漫画が中心となっており、単なる風刺等の漫画よりははるかに進化しているといわざるを得ない気がする。
今回の展示では、この鳥獣人物戯画を見るのにまた、入館してから30~40分待った。そして、歩きながら見ないといけない状況であったが、直接、この目で見れたことの感動が大きい。ただ、全巻展示といいつつも、前後期に分けて、それぞれの巻の半分ずつを展示しているので、すべてを見ようというと2回は来なければいけないことになる。
鳥獣人物戯画を見終わって、本館を出たのは、5時ごろであった。
まだ、建物の外には、まだ人が並んでいた。並んでいた人たちはちゃんと見ることができたのだろうか?それにしてもものすごい人気である。
博物館から、遠くに京都タワーが見える。タワーが建った時はかなり批判があったと聞くが、立派な古都の風景の一部となっている。
夕焼け空も美しかった。
そのあと、新しくなった新館で、常設展を見たのだが、あまりに多すぎて疲れてしまった。雪舟や長谷川等伯の画が印象に残った。
常設展は、常設展でゆっくり見ないとしんどいわという感想を持ちつつ、帰路についた。
入ってビックリ長蛇の列。90分待ちとのこと。2年ほど前に「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」を見に行った時もかなり並んだが、その時以来という人出であった。
この日は、珍しく同道した奥さんと一緒だったので、ボツボツ話をしながら並んでようやく博物館の中に入ったのは、3時前だった。
今回の展示は、大きくは4つのテーマに分かれている。
Ⅰ 高山寺の開創 ~華厳交流の道場~
Ⅱ 明恵上人 ~人と思想~
Ⅲ 高山寺の典籍 ~写本・版本の収蔵~
Ⅳ 鳥獣人物戯画 ~楽しみあふれる絵巻~
Ⅰ~Ⅲの展示については、多いといっても比較的ゆったりと見ることができた。国宝の明恵上人の樹上坐禅像もしかりである。言い伝えでは、明恵は、画家のコッポよろしく、修行の妨げになるからと自分の右耳を自ら切り落としたと言われている。残念ながら絵画の明恵上人は、ななめを向いていてわからなかった。明恵上人について、少し記してみよう。生没年は、1173~1232年ということで、鎌倉時代に活躍した僧侶である。後鳥羽上皇より栂尾山を賜り、高山寺を開いたといわれる。浄土宗や浄土真宗といった鎌倉新仏教が興隆する中、奈良仏教である南都六宗の一つである華厳宗を再興した人物である。日本の歴史上の高僧で、唯一、一生不犯で通した人だと言われている。また、明恵が開いた高山寺は、京都の西、洛西の山の中にあり、お寺のある栂尾は、高雄、槇尾とあわせて三尾と呼ばれ、紅葉の名所として知られている。高山寺については、残念なことに一度も足を踏み入れたことがない。栂尾というと、「京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた 女が一人」という歌を思い出す。しかしながら、最近は、京都の観光地を歩いてもこの歌を聞かなくなった。話を戻そう。高山寺である。何故にこんな京都の山奥とも言える場所にある寺院が、栄えていたのか疑問だったのだが、この展示を見て、やっと気付いた。五摂家の一つ鷹司家とかかわりがあったのだ。なるほど。そして、この高山寺に伝わってるのが、今回の展示のメイン、「鳥獣人物戯画」である。
鳥獣人物戯画については、鳥羽僧正覚猶の筆とされ、12世紀の後半に作成されたといわれる。但し、鳥羽僧正は、1140年には亡くなっているので、この作成年代を当てはめると鳥羽僧正の作とは言えないようである。また、全部で4巻あるが、すべて同一人物が書いたとは思えない。今回の展示を見ていても、明らかに甲巻と丁巻では、筆致が違うのがわかる。有名なのは、蛙と兎の擬人化した絵で知られる甲巻と丙巻が良く知られている。僕自身、小さい頃家にあった子ども用の古典文学全集の裏表紙の画が鳥獣戯画で、蛙と兎が相撲を取っているところのものであった。そういったことから、なじみの深い絵である。
また、鳥獣人物戯画をマンガの始まりとされている。確かに初期のころの漫画は、社会を風刺したものが多く、鳥獣人物戯画においてもそういった側面が見られることから、漫画の淵源とは言えそうな気がする。但し、今のマンガは、ストーリー漫画が中心となっており、単なる風刺等の漫画よりははるかに進化しているといわざるを得ない気がする。
今回の展示では、この鳥獣人物戯画を見るのにまた、入館してから30~40分待った。そして、歩きながら見ないといけない状況であったが、直接、この目で見れたことの感動が大きい。ただ、全巻展示といいつつも、前後期に分けて、それぞれの巻の半分ずつを展示しているので、すべてを見ようというと2回は来なければいけないことになる。
鳥獣人物戯画を見終わって、本館を出たのは、5時ごろであった。
まだ、建物の外には、まだ人が並んでいた。並んでいた人たちはちゃんと見ることができたのだろうか?それにしてもものすごい人気である。
博物館から、遠くに京都タワーが見える。タワーが建った時はかなり批判があったと聞くが、立派な古都の風景の一部となっている。
夕焼け空も美しかった。
そのあと、新しくなった新館で、常設展を見たのだが、あまりに多すぎて疲れてしまった。雪舟や長谷川等伯の画が印象に残った。
常設展は、常設展でゆっくり見ないとしんどいわという感想を持ちつつ、帰路についた。
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