今、奈良国立博物館でやっている特別展「国宝 信貴山縁起絵巻 ~朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝」を見に行ってきた。朝、電車の連絡がうまくいかず博物館に着いた時は10時過ぎ、ちょっと出遅れたかなと博物館にてチケットを購入し、中に入る。2階に上がっていくとすでに長蛇の列。作品を見るまでには、30分待ちとのこと。後ろからで良ければ、先に通してくれるのだが、信貴山縁起絵巻を見るために来たのだからここは当然並ぶことにする。
信貴山縁起絵巻については、院政期に書かれた絵巻物の四本柱の一つである。あとは、「源氏物語絵巻」「伴大納言絵詞」「鳥獣戯画」の三点である。(「鳥獣戯画」については、二年ほど前に京都国立博物館で見ることができた。『「国宝 鳥獣戯画と高山寺展」に行った!』参照)
信貴山縁起絵巻については、信貴山の中興の祖と言われる命運を主人公とした霊験譚である。信貴山と命運については、「今昔物語」や「宇治拾遺物語」などの説話集にもその説話が収められている。
そして、この「信貴山縁起絵巻」については、「山崎長者の巻(飛倉の巻)」「延喜加持の巻」「尼公の巻」の三巻からなっている。そして、それぞれの巻に著名な場面があり、その三つの巻を一斉に公開されたこの展覧会の目玉である。山崎長者の巻では命運が托鉢に使っていた鉢が、山崎長者の倉を載せて、信貴山山中で修業をしている命運のもとにやってくる話である。鉢が倉を載せて飛んでいるシーンは、教科書などでもよく紹介されているお馴染みのシーンなのだが、このシーンって結構SF映画とかSF漫画などで、これに酷似しているシーンを見ないですかね。UFOが何かを載せて飛んでいるシーン。約900年前の絵師の想像力と現代人の想像力がぴったりと重なってしまう。スゴイなと思う。
この巻の最後に胡麻を絞る器具が描かれている。山崎長者は、今の京都府の大山崎町に住んでいたと言われている。そして、胡麻を絞る道具ということは、油商人であったのだろう。中世、京の油の販売は、大山崎神人が独占していたと言われる。山崎長者は、そのはしりだったのだろう。
「延喜加持の巻」では、剣の護法童子が、転輪聖王の金輪を転がしながら、天から下ってくるシーンがおなじみだが、この護法童子に明らかに影響を受けているのが、山岸涼子さんの「日出処の天子」ではないだろうか。蘇我物部戦争の時に、厩戸皇子が、蘇我氏の勝利を祈念するために、護法童子を呼び寄せる場面があるのだが、この呼び寄せられる護法童子が全く信貴山縁起絵巻の護法童子と同じ姿をしているのである。しかし、金輪がぐるぐる回り、スピーディに天から駆け下りてくる護法童子。すごく漫画的な絵でもあると思う。
「尼公の巻」では、命運のお姉さんが、信貴山で修業をしている命運を探す話。東大寺の大仏殿の前で夜を明かしながら、祈りをささげて、大仏の加護で命運の居場所を知ることになるのだが、東大寺大仏殿で一夜を明かすシーンが、著名である。大仏殿の前で寝転んでいたり、祈ったりしている姿が、1枚の絵の中に尼君の姿が何体も書かれている。異時同図法を用いたものとして知られる。また、このシーンは、最初の大仏殿の姿を描いたものとしても知られている。
「信貴山縁起絵巻」は、民衆の姿を生き生きと描いており、そのことが、これまでの絵画とは大きく違っている点であると言われる。そして、少し目を引いたのが、「山崎長者の巻」に描かれている猫。日本の最古の猫の絵なんだそうだ。
絵巻物の展示までたどり着くのに、結構時間はかかったけど、十分に楽しめた。
そして、4月29日からは、旧奈良国立博物館の本館、なら仏像館がリニューアルオープンしている。日本の仏像の優品がずらっと並んでいるのだが、結構一斉に並んでいるといろんな顔をしているのがよくわかる。イケメンからお笑い芸人みたいな顔の仏像であったり、スタイルがすごく悪いものあったな。
これだけ見るとさすがに疲れた。おなか一杯です。
博物館を出た時には、1時半を回っていた。ほぼ3時間いたわけか。
旧奈良国立博物館本館は、1894年(明治27年)に竣工された、明治時代の代表的洋風建築として国の重要文化財に指定されている。
帰りみち、生まれてほどない鹿の赤ちゃんを見つけた。まだ、足元がおぼつかないのかよちよちと歩いていた。親鹿かな、ずっとそばにいて、まるで子鹿を守っているようだった。
この日は、本当に天気がよく、奈良公園にある興福寺の五重塔がひときわきれいに見えた。
周囲に何も遮るものがないからかな。そういえば、昨年の年末にあった興福寺経蔵等の発掘調査の現地説明会について、ブログ書いていないなあ。頑張ろうっと。奈良国立博物館「国宝 信貴山縁起絵巻」展は、5月22日までです。(あっ、今日じゃないか・・・。)
信貴山縁起絵巻については、院政期に書かれた絵巻物の四本柱の一つである。あとは、「源氏物語絵巻」「伴大納言絵詞」「鳥獣戯画」の三点である。(「鳥獣戯画」については、二年ほど前に京都国立博物館で見ることができた。『「国宝 鳥獣戯画と高山寺展」に行った!』参照)
信貴山縁起絵巻については、信貴山の中興の祖と言われる命運を主人公とした霊験譚である。信貴山と命運については、「今昔物語」や「宇治拾遺物語」などの説話集にもその説話が収められている。
そして、この「信貴山縁起絵巻」については、「山崎長者の巻(飛倉の巻)」「延喜加持の巻」「尼公の巻」の三巻からなっている。そして、それぞれの巻に著名な場面があり、その三つの巻を一斉に公開されたこの展覧会の目玉である。山崎長者の巻では命運が托鉢に使っていた鉢が、山崎長者の倉を載せて、信貴山山中で修業をしている命運のもとにやってくる話である。鉢が倉を載せて飛んでいるシーンは、教科書などでもよく紹介されているお馴染みのシーンなのだが、このシーンって結構SF映画とかSF漫画などで、これに酷似しているシーンを見ないですかね。UFOが何かを載せて飛んでいるシーン。約900年前の絵師の想像力と現代人の想像力がぴったりと重なってしまう。スゴイなと思う。
この巻の最後に胡麻を絞る器具が描かれている。山崎長者は、今の京都府の大山崎町に住んでいたと言われている。そして、胡麻を絞る道具ということは、油商人であったのだろう。中世、京の油の販売は、大山崎神人が独占していたと言われる。山崎長者は、そのはしりだったのだろう。
「延喜加持の巻」では、剣の護法童子が、転輪聖王の金輪を転がしながら、天から下ってくるシーンがおなじみだが、この護法童子に明らかに影響を受けているのが、山岸涼子さんの「日出処の天子」ではないだろうか。蘇我物部戦争の時に、厩戸皇子が、蘇我氏の勝利を祈念するために、護法童子を呼び寄せる場面があるのだが、この呼び寄せられる護法童子が全く信貴山縁起絵巻の護法童子と同じ姿をしているのである。しかし、金輪がぐるぐる回り、スピーディに天から駆け下りてくる護法童子。すごく漫画的な絵でもあると思う。
「尼公の巻」では、命運のお姉さんが、信貴山で修業をしている命運を探す話。東大寺の大仏殿の前で夜を明かしながら、祈りをささげて、大仏の加護で命運の居場所を知ることになるのだが、東大寺大仏殿で一夜を明かすシーンが、著名である。大仏殿の前で寝転んでいたり、祈ったりしている姿が、1枚の絵の中に尼君の姿が何体も書かれている。異時同図法を用いたものとして知られる。また、このシーンは、最初の大仏殿の姿を描いたものとしても知られている。
「信貴山縁起絵巻」は、民衆の姿を生き生きと描いており、そのことが、これまでの絵画とは大きく違っている点であると言われる。そして、少し目を引いたのが、「山崎長者の巻」に描かれている猫。日本の最古の猫の絵なんだそうだ。
絵巻物の展示までたどり着くのに、結構時間はかかったけど、十分に楽しめた。
そして、4月29日からは、旧奈良国立博物館の本館、なら仏像館がリニューアルオープンしている。日本の仏像の優品がずらっと並んでいるのだが、結構一斉に並んでいるといろんな顔をしているのがよくわかる。イケメンからお笑い芸人みたいな顔の仏像であったり、スタイルがすごく悪いものあったな。
これだけ見るとさすがに疲れた。おなか一杯です。
博物館を出た時には、1時半を回っていた。ほぼ3時間いたわけか。
旧奈良国立博物館本館は、1894年(明治27年)に竣工された、明治時代の代表的洋風建築として国の重要文化財に指定されている。
帰りみち、生まれてほどない鹿の赤ちゃんを見つけた。まだ、足元がおぼつかないのかよちよちと歩いていた。親鹿かな、ずっとそばにいて、まるで子鹿を守っているようだった。
この日は、本当に天気がよく、奈良公園にある興福寺の五重塔がひときわきれいに見えた。
周囲に何も遮るものがないからかな。そういえば、昨年の年末にあった興福寺経蔵等の発掘調査の現地説明会について、ブログ書いていないなあ。頑張ろうっと。奈良国立博物館「国宝 信貴山縁起絵巻」展は、5月22日までです。(あっ、今日じゃないか・・・。)
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