地下鉄谷町9丁目駅の階段を登って、西へ千日前通りを行くと、すぐ北側に常國寺という山門と本堂、墓地だけがある小さい法華宗のお寺がある。
門の前には、梶井基次郎墓所という石碑が立っている。
ここには、名作「檸檬」「櫻の木の下には」などの短編小説で知られる梶井基次郎が眠っている。
梶井基次郎は、1932年(昭和7)3月24日、31歳の若さで肺結核のため、まだ文壇に出ることなく、この世を去っている。(ただし、第一創作集「檸檬」は1931年5月に出版されており、梶井基次郎の名が世に出るのは時間の問題ではあった。)
そして、常國寺にある梶井家の墓に荼毘にふされた後納骨された。
お墓は、小さい本堂の裏にある墓地にあり、いくつもの墓碑が立ち並ぶ中、案内などもなく、ひっそりと立っている。
京都の丸善には、梶井基次郎の文庫本が置かれている棚には、檸檬を置くことができるように籠が置かれていたが、何とここのお墓にも丸善と同様に檸檬が置かれていた。
さらに、レモン酎ハイなどの缶が置かれていたのはご愛敬だな。
ちなみに3月24日の基次郎の命日には檸檬忌として追善供養が行われている。墓石の横には檸檬忌を記した板塔婆があった。
墓石の右側の側面には、友人で小説家の中谷孝雄の名がある。墓文字は、中谷孝雄の書である。
せっかくの機会、少し手を合わさせていただき、梶井基次郎の文才の万分の一でも降りてこないかなと頼んでみたものの兆しはない。
線香の一本もあげんとお願いするというのも図々しいというところかな。(笑)
ちなみに、最近知ったことだが、考古学者の網干善教氏は、梶井基次郎の甥にあたる。梶井基次郎の異母弟である順三氏の子になるのだそうだ。なお、順三氏は、基次郎が亡くなった時、枕経を務めている。
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