司馬遼太郎の『街道をゆく 24 ~近江散歩・奈良散歩』所収の「歌・絵・多武峰」を読んでいるうちに、多武峰の方へ行ってみたくなり、仕事の合間を縫って、年休を取り、一路桜井市へ向かう。
多武峰へは、通常桜井駅の南口にあるバスターミナルからバスに乗るのだが、平日であったこともあり、バスの本数が限られていること、バスが来るまでかなりの時間があること、ついでに聖林寺にもと立ち寄ってみたいと思い、適当なところでバスに乗ったらええわと簡単に考えて、ぶらぶらと歩き始めることにした。
多武峰へは、桜井駅から、県道154号線を南へ向かう。途中、若櫻神社の前を通り、桜井小学校を越えると、駐在所がある。せっかくだから、艸墓古墳でも見ていこうと思い、そこから左に曲がって、住宅街の方へ入っていく。
住宅の間の隙間のような道を入っていくと艸墓古墳である。
南側に開口部があり、横穴式の石室を懐中電灯片手に入っていくと、奥の玄室には家形石棺が堂々たる雄姿を見せてくれる。
古墳についての詳細は、以前「桜井市の古墳をあるく(鳥見山周辺編)⑨ ~艸墓古墳~」に書いているので、簡単に。一辺30mの方墳で、両袖式の横穴式石室があり、築造された時期としては、7世紀の中ごろと言われている。
石室は、羨道部は少しかがまないといけないが、玄室は、天井は高くなっているので、かがむ必要はないのだが、安置されている石棺が大きいので横向きにならないと、奥に進んでいけない。
この家形石室だけでも一見の価値はある。奥に回ると、石棺の一部が盗掘のために穴があけられているため、石棺の中をみることができる。中はすでに何もないのだけど、石棺の内壁に朱が残っているような気がした。
艸墓古墳を出ると、さらに住宅街を南へ歩いていくと、今度は、谷首古墳という、これも横穴式石室を持つ古墳がある。
僕が訪れたときは、結構、草ぼうぼうだった。そこをかき分けていくと、これも南向きに横穴式石室が開口している。
ちょっと入口のところの石が崩れているが、中はしっかりしている。
ここも身をかがめて、羨道から玄室へと入っていく。玄室はかなり大きい。調べると4mもの高さがあるという。古代人の技術に驚かされる。
かなりの巨石を側壁は三段、奥壁は二段に積み上げて造られている。持ち送りになっているので、一層高く感じる。
築造は、7世紀の初頭から前半の築造なので、先ほど訪れた艸墓古墳よりも古い。墳丘も、一辺40mほどなので、こちらも少し大きい。谷首古墳の詳細についても、「桜井市の古墳をあるく(鳥見山周辺編)⑧ ~谷首古墳~」に書いている。
以前、来たときはこうもりが居たのだが、この時はいなかった。よかった~。
古墳の中から外を撮影、なかなか素晴らしい光景であった。
古墳探訪もほどほどに、この後、メスリ山古墳のそばを通って、多武峰街道に合流したいと思う。まだまだ道のりは遠い。
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