谷首古墳から、南へ住宅街を抜けていくと、正面にコンビニがある道に出る。その道を左に折れていくと、小さな川があり、その川沿いに少し南へ下る。
西に、大きな森が見える。これが、メスリ山古墳である。
メスリ山古墳についても、以前、このブログで取り上げたことがあるので、あまり触れないが、全長200mを超す前期古墳である。(「桜井市の古墳をあるく(鳥見山周辺編)⓺~メスリ山古墳~」を参照)
てくてくと東へ向かって歩いていく、この辺りの田園風景は気持ちがいい。奈良の田舎を歩いているなあという気がする。しばらくすると川を越えたあたりで、南北の道にあたる。これが多武峰街道で、すぐそばに談山神社の一の鳥居が建っている。
堂々とした石の鳥居で、ここから多武峰への道がスタートするよという面持ちである。
この鳥居は、享保9年(1724年)に建てられたもの。高さ8.5m、長さ11mと立派なものである。享保年間というと、「暴れん坊将軍」で知られる八代将軍徳川吉宗の時代であり、ちょうど享保の改革が行われていた時期である。
さあ、ここから談山神社へ向かうぞと気合を入れて、まずは十一面観音菩薩立像で知られる聖林寺を目指して歩いていくことにする。
ちなみに鳥居の下はくぐれるのだが、その奥はフェンスで囲われているので通り抜けはできないようになっている。
一の鳥居から少し歩くと、道端に町石が立っている。多武峰街道町石で、一の鳥居から談山神社の摩尼輪塔まで、約5.5kmの道の間、52基の町石が立てられているそうだ。この町石も江戸時代のものである。
ここから、聖林寺までの道のりは、歴史的な風情の感じることができる街道筋で、途中、西内酒造といった造り酒屋もあり、歩いていても楽しい。
西内酒造は、明治10年の創業とのことなので、かれこれ150年になる。「談山」という銘柄の日本酒を造っている。玄関に大きな杉玉がいくつもぶら下がっている。
ちょうど、この日は休業だったので、残念ながら日本酒は購入できなかった。ただ、後々考えると買わなくってよかった。
多武峰街道を歩きながら、聖林寺へ。途中、小さな石仏が路傍に置かれているのも時代の趣を感じる。
聖林寺橋を渡るといよいよ聖林寺である。
空は、これまた気持ちの良い青空が広がっていた。
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