別所大塚古墳から南下して、市立山の辺小学校を過ぎたところに、周囲を駐車場で囲まれた古墳がある。別所鑵子塚古墳と呼ばれる古墳で、6世紀の前半に造られた全長約57mの前方後円墳である。
かなり後世の改変を受けており、一見、前方後円墳には見えない。(前方後円墳であることを知っていればそう見えないこともないか。)ただ、駐車場に周濠の痕跡が残っている。
別所鑵子塚古墳については、天理大学の歴史研究会が行った測量調査では、前方部と後円部のいずれにも埋葬施設があったことが確認されており、前方部の方は、石棺直葬であり、後円部の方は横穴式石室であったと考えられている。
埋葬施設に横穴式石室が採用された古墳として、この辺りの古墳の中では一番古い部類になるのであろう。そして、この辺りの首長墓としては、この後、別所大塚古墳→石上大塚古墳→ウワナリ塚古墳→岩屋大塚古墳→ハミ塚古墳→豊田トンド古墳→塚平古墳という築造順になるのと思われる。
そしてそれらの古墳の被葬者としては、この辺りを根拠としていた物部氏を想定できそうである。
この2月、天理市にあるなら芸術文化村に行った所、天理市の石上・豊田古墳群、別所古墳群からの出土品が展示されており、下記の写真のように別所鑵子塚古墳から出土したものも展示されていた。
これらは、別所鑵子塚古墳に隣接する駐車場で出土したものである。
なかなか立派な円筒埴輪である。
別所鑵子塚古墳にたどり着いた時にはかなり遅くなっており、この後は、暗くならないうちに天理駅まで帰って天理市北部の古墳巡検は終了。次は中部の杣之内古墳群をめざそう。
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