今回は、桜井市は纏向の周辺で朝墳活。朝、5時過ぎに我が家を出発し、JR万葉まほろば線の巻向駅に到着した時には、6時を過ぎていた。この駅で降りたのは私一人。
ここから、纏向遺跡の横を通って箸墓古墳に向かう。纏向版朝墳活の始まり、はじまり。
箸墓古墳をめざして、歩いていくと途中、国道169号線にあたる。国道沿いに少し歩いていくと、箸墓古墳に隣接する大池があり、この堤防を登っていくと、池の奥に箸墓古墳の雄大な姿が見えた。
古墳に到着した時には、すでに陽が少し東の空の山の端に昇っていた。それでも少し朝靄がかかっていて、どことなく神秘的な雰囲気を醸し出していた。
古墳に着いた時には、想像以上に、おひさまも空に登っていて、朝焼けを取るという感じではなかったが、それでも、太陽光が墳丘の上で輝いているようなちょっと幻想的な雰囲気の写真を何枚かは撮ることができたと思う。
箸墓古墳は、日本書紀によると、「墓は昼は人が作り、夜は神が作った。」という伝承もあるので、そういう感じが出せないかなあという事で挑戦してみた。
いかがであろうか?
少し幻想的な雰囲気が出せればいいのだが・・・。
堤防から、今度は拝所の方へ向かって歩きはじめる。すると足元でぴょんぴょん跳ねるものがいる。何だろうと思って覗いてみると、大きさが1~2㎝の小さな蛙であった。周りが草で覆われているので、その色と同化していたため、ちょっとわかりづらかった。
箸墓古墳の拝所、孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲姫命の墓として、例の如く宮内庁が管理している。
この古墳が、倭迹迹日百襲姫命の墓というのは疑問のある所なのだが、この時期の天皇がほとんど何も書かれていない中で、この皇女だけは、いろいろな逸話に彩られている。
何か重要な意味を持っているのかもしれない。ちなみに箸墓という名称は、姫が、腰を落とした時に、陰部を箸で突いて、それがもとで亡くなったことから箸墓古墳と呼ばれている。
そのほか、三輪山に祀られている大物主命という神様と交渉を持ったり、亡くなった時、(先に書いたように)墓を神が作ったという伝承もある。
拝所から古墳の南側をめぐってみよう。南側には、大池のような周濠のようなものはなく、墳丘のすぐ裾を歩くことができる。
向こうには三輪山の姿がよく見える。
纏向周辺の古墳は、どの古墳も三輪山を意識しているように思われる。箸墓もその一つである。
後円部の所に古くからあるような小さな和菓子屋さんがあって、来るたびに気にかかっているのだが、こんな時間じゃあ空いているわけないなあ。
箸墓古墳の周囲をぐるっと回っていくと、古墳の北側に、池のすぐそばまで降りることができる場所があった。
箸墓古墳の雄大な姿をま近くでみれた。なかなか姿がいい。
箸墓古墳の姿を満喫しつつ、今度は万葉まほろば線を越えて、ホケノ山古墳をめざすことにする。
徐々に気温が上がってきたなあ。
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