黄門さまと犬公方
山室 恭子著 文春新書
黄門さまはご存知、水戸黄門で知られる徳川光圀、犬公方は5代将軍徳川綱吉のことである。同じ頃共に庶子でありながら家督を継ぎ、儒学を中心とした文治政治を行った殿様ではあるが、後世の評価は全くの正反対。何故なのか、当時の史料を再検討し、新たな黄門さま像、綱吉像を描き出している。
本書によると徳川光圀、綱吉のそれぞれの人物像を現在までイメージさせてきた史料が実はかなり怪しいそうである。徳川光圀については家督相続の複雑さゆえ一層名君振りをアピールしていく必要があったのだろう。(光圀の兄の子が水戸家を相続している。光圀の子は光圀の兄の方を相続して高松藩主になっている。)いろいろな伝説をまとって藩をまとめていく必要があったと言うことなのだと思う。そしてその伝説が一人歩きして、天下の副将軍水戸光圀像が形成されていくことになったたんだと言うことになる。但し本書の水戸光圀の検証はあくまでも第2部徳川綱吉の叙述を際立たせるためのものに他ならない。著者の興味は徳川綱吉にあるような気がする。
あの悪名高い生類憐みの令を世間に示した将軍が徳川綱吉である。(そう忠臣蔵が舞台となった時代である。)生類憐みの令とは、綱吉の時代に出された鳥獣関係の法令の総称であって、一つの法律ではない。行き過ぎた鳥獣、特に犬の保護により、民衆を苦しめたと言うのが教科書的な理解であろう。またその原因として、綱吉には跡継ぎが生まれず、母である桂昌院や隆光という僧の奨めで戌年生まれの綱吉の守護神である犬を大事にすれば子が授かると言う事で出された法令であると一般に言われている。しかし実情は違うらしいのである。
本書で引用されている塚本学氏は、生類憐みの令を将軍個人の思考の問題ではなく、当時の社会状況に対する対策として出されたものであるとする。その主張は4点。①鉄砲の抑制②カブキモノの取り締まり③野犬公害対策④宿場の馬の確保と主張している。(そういえば何かの本で生類憐れみの令の施行により、日本人の食肉の習慣が改まったという話も聞いたことがあるなあ。)著者は、社会対策として公布されたものがすぐ題が変わったとたん廃止されると言うのはおかしいという。著者は当時いまだ戦国の威風が残っており、人命を軽んずる風潮を改めるべく出された道徳的な法令だとする。そういえばこの頃がちょうど江戸幕府の政治方針が武断政治から文治政治へと転換した時期と一致する。また、綱吉自身論語等の講義を家臣にするほどの人物だったようである。そういった道徳思想を江戸町民に奨めようとして出された法令ではあったが、町民にいじられていくうちに何がなにやらわからなくなったということなんだろうか。
少なくとも従来から語られているような苛烈な法令ではなかったようである。またそういったことを述べている史料自体なかなか怪しいものであったようである。意外と俗説を鵜呑みにしていたと言う感のある状況であるようだ。
そういえば、この正月テレビでしていた赤穂浪士のドラマでも従来の綱吉像にのっとった形で描かれており、綱吉の対しての人物像のイメージの根強さを実感した。
ただ、江戸時代全体で言うと、元禄時代といわれるほど、新しい文化が咲き誇った時代でもあり、改めて綱吉の人物像の含めて見直されていくことになるのではないでしょうか。
前著「黄金太閤」に引き続いて、私たちのなじみのある人物の、今までとは違った姿を描いていて面白かった。次は吉宗だそうです。期待します。
山室 恭子著 文春新書
黄門さまはご存知、水戸黄門で知られる徳川光圀、犬公方は5代将軍徳川綱吉のことである。同じ頃共に庶子でありながら家督を継ぎ、儒学を中心とした文治政治を行った殿様ではあるが、後世の評価は全くの正反対。何故なのか、当時の史料を再検討し、新たな黄門さま像、綱吉像を描き出している。
本書によると徳川光圀、綱吉のそれぞれの人物像を現在までイメージさせてきた史料が実はかなり怪しいそうである。徳川光圀については家督相続の複雑さゆえ一層名君振りをアピールしていく必要があったのだろう。(光圀の兄の子が水戸家を相続している。光圀の子は光圀の兄の方を相続して高松藩主になっている。)いろいろな伝説をまとって藩をまとめていく必要があったと言うことなのだと思う。そしてその伝説が一人歩きして、天下の副将軍水戸光圀像が形成されていくことになったたんだと言うことになる。但し本書の水戸光圀の検証はあくまでも第2部徳川綱吉の叙述を際立たせるためのものに他ならない。著者の興味は徳川綱吉にあるような気がする。
あの悪名高い生類憐みの令を世間に示した将軍が徳川綱吉である。(そう忠臣蔵が舞台となった時代である。)生類憐みの令とは、綱吉の時代に出された鳥獣関係の法令の総称であって、一つの法律ではない。行き過ぎた鳥獣、特に犬の保護により、民衆を苦しめたと言うのが教科書的な理解であろう。またその原因として、綱吉には跡継ぎが生まれず、母である桂昌院や隆光という僧の奨めで戌年生まれの綱吉の守護神である犬を大事にすれば子が授かると言う事で出された法令であると一般に言われている。しかし実情は違うらしいのである。
本書で引用されている塚本学氏は、生類憐みの令を将軍個人の思考の問題ではなく、当時の社会状況に対する対策として出されたものであるとする。その主張は4点。①鉄砲の抑制②カブキモノの取り締まり③野犬公害対策④宿場の馬の確保と主張している。(そういえば何かの本で生類憐れみの令の施行により、日本人の食肉の習慣が改まったという話も聞いたことがあるなあ。)著者は、社会対策として公布されたものがすぐ題が変わったとたん廃止されると言うのはおかしいという。著者は当時いまだ戦国の威風が残っており、人命を軽んずる風潮を改めるべく出された道徳的な法令だとする。そういえばこの頃がちょうど江戸幕府の政治方針が武断政治から文治政治へと転換した時期と一致する。また、綱吉自身論語等の講義を家臣にするほどの人物だったようである。そういった道徳思想を江戸町民に奨めようとして出された法令ではあったが、町民にいじられていくうちに何がなにやらわからなくなったということなんだろうか。
少なくとも従来から語られているような苛烈な法令ではなかったようである。またそういったことを述べている史料自体なかなか怪しいものであったようである。意外と俗説を鵜呑みにしていたと言う感のある状況であるようだ。
そういえば、この正月テレビでしていた赤穂浪士のドラマでも従来の綱吉像にのっとった形で描かれており、綱吉の対しての人物像のイメージの根強さを実感した。
ただ、江戸時代全体で言うと、元禄時代といわれるほど、新しい文化が咲き誇った時代でもあり、改めて綱吉の人物像の含めて見直されていくことになるのではないでしょうか。
前著「黄金太閤」に引き続いて、私たちのなじみのある人物の、今までとは違った姿を描いていて面白かった。次は吉宗だそうです。期待します。
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