堀辰雄の「大和路・信濃路」という本の中に、「浄瑠璃寺の春」という一編がある。それを眼にしてから、浄瑠璃寺に再訪して見たくなった。かつてこの寺を訪れたのは学生時代だったから、それから20年は経っている。
近鉄奈良駅から、奈良交通の急行バスに乗っていく。かつてはずいぶん山の奥に向かう感じだったのだが、この20年の間にずいぶん開発されて途中までかなり住宅が建っている。浄瑠璃寺前で下車、まずは岩船寺にということでコミュニティバスに乗り換えて岩船寺へ行く。
ルートを決定するにあたって、木津川市観光協会のHPが大いに役に立った。一日乗車券の方が安いなんて意外と気が付かないものね。しかも奈良駅からバス停までルートも写真付きで紹介。痒いところまで手が届くような案内で、同じ行政関係者として頭が下がる思いがした。
URLはこちら↓
「木津川市観光ガイド」
コミュニティバスを下車して、岩船寺に向かう途中に、売店がいくつかあるのだが、目を惹いたのはこの看板!
写真では見にくいのだが「TV番組鶴瓶と花の女子大生で紹介」と書いてあった。20年ぐらい前に関西ローカルでやっていた番組だ。懐かしい。
参道を通って、境内に入る。眼の前に森林の中に三重塔がそびえている。新緑に映えてきれいだった。
岩船寺の創建が奈良時代にさかのぼるそうだ。本尊は木造阿弥陀如来座像で、墨書から天慶年間に作られたのがわかるのだそうだ。天慶というと、平将門や藤原純友などの承平・天慶の乱などがおこり、武士勢力の台頭が始まる時である。
境内には、石仏の里当尾を象徴するように、いろいろな石造美術品がある。五輪塔、十三重石塔、石室不動明王立像など。
十三重石塔などは、周りともマッチしていて、これもなかなかに趣がある。
また、三重塔では、裏の山に登ると見下ろすことができる。山を削るように建っているので、上層階が本当に近くで見ることが可能だ。よく見ると塔の屋根にちっちゃな鬼がのっている。隅鬼というらしい。
こじんまりとしたいいお寺でした。
岩船寺を出て、山道を下りながら浄瑠璃寺へ向かう。途中結構急な下り坂があったりして、ちょっとハードでした。
途中、いろいろな石仏に出合いました。
しかし、何でこんな山奥に多くの石仏があるのでしょう?山岳宗教というかそういう影響もあるのでしょうね。途中、100円の無人店舗などを眺めながら浄瑠璃寺に到着。
バス停からお土産屋などが数軒並ぶ参道を通って、門前へ出る。堀辰雄は、この辺りで、「坂の下の一軒家のほとりで水菜を洗っている娘」に出会うのだが、そういった人影もなく浄瑠璃寺の小さな門をくぐる。
門をくぐると、目の前に蓮池が、浄土式庭園が広がる。
浄土式庭園は、平安時代後期、藤原道長、頼通の時代に流行した様式である。末法の世の中、極楽浄土を夢見て作られたのである。浄瑠璃寺は、1047年に当麻の僧義明上人を開基として建てられたと伝えられている。ちなみにこの時の帝は、後冷泉天皇であり、藤原摂関家が一番栄えていた時代である。
そんな時代に、浄瑠璃寺は創建された。
国宝の本堂に入るとき、小さな戸をあけてはいる。戸を開けて入った瞬間、九体の阿弥陀仏がずらりと並ぶ。この威圧感は半端ではない。後ろにいた小っちゃい子は、泣き出していた。
九体阿弥陀堂も平安時代後期に流行った形式であるが、当時のものが現存している唯一のものである。時間があったので、本堂の中の椅子に腰かけながら、阿弥陀仏9体をゆっくり眺める。それぞれに少しずつお顔が違う。作者も違うのかもしれない。
そして、三重塔の方へ向かう、本堂の一番中心の阿弥陀仏と2基の灯篭、三重塔が一直線に並ぶ。三重塔には薬師如来が安置されており、現世と来世を表しているのかもしれない。
新緑に映えて、寺院全体がきれいだった。秋になれば、いいだろうねえ。そういえば、「浄瑠璃寺の春」には馬酔木のことがよく出てくるのだが、全然気が付かなかった。
最後に一番、印象に残ったのは、山門の前の溝に子狸が隠れているのを発見!溝から出てくるところを見つけて、思わず声を出してしまったら、奥に引っ込んでしまった。一緒にいた奥さんと2人ですっと写真を撮ろうと覗き込んでたのだが、残念ながら写真に収めることが出来なかった。生まれて初めて野生の狸を見たのに・・・。事情を知らない人は、何しとるんやろと思ったろうな。
当日の一日乗車券は、木簡をあしらった木の切符でした。なかなかおしゃれでした。
近鉄奈良駅から、奈良交通の急行バスに乗っていく。かつてはずいぶん山の奥に向かう感じだったのだが、この20年の間にずいぶん開発されて途中までかなり住宅が建っている。浄瑠璃寺前で下車、まずは岩船寺にということでコミュニティバスに乗り換えて岩船寺へ行く。
ルートを決定するにあたって、木津川市観光協会のHPが大いに役に立った。一日乗車券の方が安いなんて意外と気が付かないものね。しかも奈良駅からバス停までルートも写真付きで紹介。痒いところまで手が届くような案内で、同じ行政関係者として頭が下がる思いがした。
URLはこちら↓
「木津川市観光ガイド」
コミュニティバスを下車して、岩船寺に向かう途中に、売店がいくつかあるのだが、目を惹いたのはこの看板!
写真では見にくいのだが「TV番組鶴瓶と花の女子大生で紹介」と書いてあった。20年ぐらい前に関西ローカルでやっていた番組だ。懐かしい。
参道を通って、境内に入る。眼の前に森林の中に三重塔がそびえている。新緑に映えてきれいだった。
岩船寺の創建が奈良時代にさかのぼるそうだ。本尊は木造阿弥陀如来座像で、墨書から天慶年間に作られたのがわかるのだそうだ。天慶というと、平将門や藤原純友などの承平・天慶の乱などがおこり、武士勢力の台頭が始まる時である。
境内には、石仏の里当尾を象徴するように、いろいろな石造美術品がある。五輪塔、十三重石塔、石室不動明王立像など。
十三重石塔などは、周りともマッチしていて、これもなかなかに趣がある。
また、三重塔では、裏の山に登ると見下ろすことができる。山を削るように建っているので、上層階が本当に近くで見ることが可能だ。よく見ると塔の屋根にちっちゃな鬼がのっている。隅鬼というらしい。
こじんまりとしたいいお寺でした。
岩船寺を出て、山道を下りながら浄瑠璃寺へ向かう。途中結構急な下り坂があったりして、ちょっとハードでした。
途中、いろいろな石仏に出合いました。
しかし、何でこんな山奥に多くの石仏があるのでしょう?山岳宗教というかそういう影響もあるのでしょうね。途中、100円の無人店舗などを眺めながら浄瑠璃寺に到着。
バス停からお土産屋などが数軒並ぶ参道を通って、門前へ出る。堀辰雄は、この辺りで、「坂の下の一軒家のほとりで水菜を洗っている娘」に出会うのだが、そういった人影もなく浄瑠璃寺の小さな門をくぐる。
門をくぐると、目の前に蓮池が、浄土式庭園が広がる。
浄土式庭園は、平安時代後期、藤原道長、頼通の時代に流行した様式である。末法の世の中、極楽浄土を夢見て作られたのである。浄瑠璃寺は、1047年に当麻の僧義明上人を開基として建てられたと伝えられている。ちなみにこの時の帝は、後冷泉天皇であり、藤原摂関家が一番栄えていた時代である。
そんな時代に、浄瑠璃寺は創建された。
国宝の本堂に入るとき、小さな戸をあけてはいる。戸を開けて入った瞬間、九体の阿弥陀仏がずらりと並ぶ。この威圧感は半端ではない。後ろにいた小っちゃい子は、泣き出していた。
九体阿弥陀堂も平安時代後期に流行った形式であるが、当時のものが現存している唯一のものである。時間があったので、本堂の中の椅子に腰かけながら、阿弥陀仏9体をゆっくり眺める。それぞれに少しずつお顔が違う。作者も違うのかもしれない。
そして、三重塔の方へ向かう、本堂の一番中心の阿弥陀仏と2基の灯篭、三重塔が一直線に並ぶ。三重塔には薬師如来が安置されており、現世と来世を表しているのかもしれない。
新緑に映えて、寺院全体がきれいだった。秋になれば、いいだろうねえ。そういえば、「浄瑠璃寺の春」には馬酔木のことがよく出てくるのだが、全然気が付かなかった。
最後に一番、印象に残ったのは、山門の前の溝に子狸が隠れているのを発見!溝から出てくるところを見つけて、思わず声を出してしまったら、奥に引っ込んでしまった。一緒にいた奥さんと2人ですっと写真を撮ろうと覗き込んでたのだが、残念ながら写真に収めることが出来なかった。生まれて初めて野生の狸を見たのに・・・。事情を知らない人は、何しとるんやろと思ったろうな。
当日の一日乗車券は、木簡をあしらった木の切符でした。なかなかおしゃれでした。
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