旧堺燈台から大浜公園に向かう途中のポケットパークみたいなところに、大きな樹木が二手に分かれている股のところに寝そべっている猫を発見。ちょっとかわいかったので思わずパチリと1枚。
人なれしているのかこっちを向いてくれたよ。
阪神高速道路の湾岸線の下を通って大浜公園へ、途中公園の駐車場の所にも土塁のような高まりがあり、これも台場の跡なのかなあと思いながら公園の中心部へ向かう。台場とは、幕末に異国船の打払いを目的として、海岸線等に築かれた砲台であり、大阪では、この堺台場の他に楠葉台場、高浜台場が築かれた。著名なのは、品川台場で、「お台場」という名称でも知られている。そして大浜公園は、この堺台場の跡地を公園として整備したものである。
公園内には、蘇鉄山や猿飼育舎、体育館、相撲場などがあるが、ここは、日本一低い一等三角点の山、蘇鉄山に登ろう。途中ラジオ塔のレプリカがある。
ラジオ塔については、この後に詳述することにしたい。
蘇鉄山であるが、ラジオ塔の横を通って、プール沿いにしばらく歩くと、日本一低い一等三角点 蘇鉄山と書いた木標があり、そこから山に登っていくことになる。
5分か10分ほど歩くと頂上に達する。あっという間の登頂である。ちなみに標高はだいたい7m弱である。頂上には写真のような一等三角点がある。三角点については、測量の際の緯度や軽度、標高などの基準となる点である。通常は、見晴らしの良い高山などに設置されていることが多い。まあ、こういうところにあるのは珍しいみたいである。
蘇鉄山自体は、明治12年大浜公園の開園時に大阪湾を展望するための築山として整備されたのち、近くにあった御蔭山が削られ、昭和14年にその御蔭山にあった一等三角点が移設されたもののようである。頂上周辺にはいろいろな石碑があり、目立つのは、犬養孝揮毫の万葉歌碑である。
前面には、万葉仮名で書かれており、裏には「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群」と書かれている。平成23年の建立ということなので、犬養孝氏が亡くなってからのものである。遣唐使として唐に渡る我が子を思って母親が歌った歌である。
この歌碑に隠れるように「堺南台場跡」という石碑がある。
この山自体は、台場として築かれたわけではないのだけれど、台場跡のランドマークということなんでしょうか。南台場ということは、北台場もということで調べてみると、龍女神像の近くに北台場があったことが判明。
その他、蘇鉄山の麓には、擁護爾という1854年(安政元年)12月24日に発生した安政南海地震に関する記念碑が立っている。
この手の記念碑って、他でも見たことがあるなあ。
また、擁護爾の奥に、本物のラジオ塔が立っている。
ラジオ塔は、ラジオの普及を目的として公園などに設置されたラジオ受信機を収めた塔であり、この塔は昭和8年に設置されたものである。大阪には、大浜公園の他に、箕面公園や大阪城公園などにもあるらしい。レプリカの方は平成23年に建てられたものである。
そして、大浜公園の目的である南砲台場跡である。現在は、花菖蒲園として整備されているが、菖蒲が植わっている水路が外構の跡であり、それにそって石垣が続いている。
これが当時の石垣の名残だと思われる。この南砲台場は慶応2年(1866年)に整備されたものである。よく見ないとちょっとわからないですね。
大浜公園からは、昨年オープンした利晶の社へ向かうことにした。
人なれしているのかこっちを向いてくれたよ。
阪神高速道路の湾岸線の下を通って大浜公園へ、途中公園の駐車場の所にも土塁のような高まりがあり、これも台場の跡なのかなあと思いながら公園の中心部へ向かう。台場とは、幕末に異国船の打払いを目的として、海岸線等に築かれた砲台であり、大阪では、この堺台場の他に楠葉台場、高浜台場が築かれた。著名なのは、品川台場で、「お台場」という名称でも知られている。そして大浜公園は、この堺台場の跡地を公園として整備したものである。
公園内には、蘇鉄山や猿飼育舎、体育館、相撲場などがあるが、ここは、日本一低い一等三角点の山、蘇鉄山に登ろう。途中ラジオ塔のレプリカがある。
ラジオ塔については、この後に詳述することにしたい。
蘇鉄山であるが、ラジオ塔の横を通って、プール沿いにしばらく歩くと、日本一低い一等三角点 蘇鉄山と書いた木標があり、そこから山に登っていくことになる。
5分か10分ほど歩くと頂上に達する。あっという間の登頂である。ちなみに標高はだいたい7m弱である。頂上には写真のような一等三角点がある。三角点については、測量の際の緯度や軽度、標高などの基準となる点である。通常は、見晴らしの良い高山などに設置されていることが多い。まあ、こういうところにあるのは珍しいみたいである。
蘇鉄山自体は、明治12年大浜公園の開園時に大阪湾を展望するための築山として整備されたのち、近くにあった御蔭山が削られ、昭和14年にその御蔭山にあった一等三角点が移設されたもののようである。頂上周辺にはいろいろな石碑があり、目立つのは、犬養孝揮毫の万葉歌碑である。
前面には、万葉仮名で書かれており、裏には「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群」と書かれている。平成23年の建立ということなので、犬養孝氏が亡くなってからのものである。遣唐使として唐に渡る我が子を思って母親が歌った歌である。
この歌碑に隠れるように「堺南台場跡」という石碑がある。
この山自体は、台場として築かれたわけではないのだけれど、台場跡のランドマークということなんでしょうか。南台場ということは、北台場もということで調べてみると、龍女神像の近くに北台場があったことが判明。
その他、蘇鉄山の麓には、擁護爾という1854年(安政元年)12月24日に発生した安政南海地震に関する記念碑が立っている。
この手の記念碑って、他でも見たことがあるなあ。
また、擁護爾の奥に、本物のラジオ塔が立っている。
ラジオ塔は、ラジオの普及を目的として公園などに設置されたラジオ受信機を収めた塔であり、この塔は昭和8年に設置されたものである。大阪には、大浜公園の他に、箕面公園や大阪城公園などにもあるらしい。レプリカの方は平成23年に建てられたものである。
そして、大浜公園の目的である南砲台場跡である。現在は、花菖蒲園として整備されているが、菖蒲が植わっている水路が外構の跡であり、それにそって石垣が続いている。
これが当時の石垣の名残だと思われる。この南砲台場は慶応2年(1866年)に整備されたものである。よく見ないとちょっとわからないですね。
大浜公園からは、昨年オープンした利晶の社へ向かうことにした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます