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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

魏志倭人伝

2008-03-31 00:09:16 | 読書日記
魏志倭人伝 ~東洋史上の古代日本~
 山尾幸久著 講談社現代新書

 最近、職場で考古学に触れる機会が多くあり、僕自身もともと歴史に興味があることから、ひさしぶりに日本古代史の世界に耽溺しようというわけで本書を手にした。本書は、僕が大学生の頃に新版がでていて内容が大幅に改稿されているのだが、何が変わったのかなという確かめようという思いもあり、古書店で見つけ購入した。それにこの本自体僕には思い入れがある本で、ちょうど大学に入った時に、出版され、その内容にこれぞ大学の学問という思いを持った本であった。
 魏志倭人伝というのは、「三国志」の「魏志」の「東夷伝」の「倭人条」を称して言うのであり、「魏志倭人伝」という単独の書物があった訳ではない。
 本書は、当時の東アジアの情勢から書き起こし、魏志倭人伝の成立の背景を精緻に検討し、また「里程論」などを検討し、邪馬台国(ヤマドとよむらしい)を畿内に求めている。さらに奈良の巻向地方にヤマト王権の発生を見ている。ただしヤマト王権は単独として成立しているのではなく、河内や葛城地方といった周辺地域と連立した王権であったとしている。いわば村落があり、その村落が固まって国となり、その国が集まって邪馬台国が成立しているという形になるのであろうか。そういった周辺地域の中には佐保地方などに根拠を置く和珥氏の力を重く見ている。そしてその和珥氏は朝鮮からの渡来系の氏族であるとしている。またヤマト王権自体血統的にも、文化的にも朝鮮の影響を受けているとしているようだ。そういえば、SF作家の豊田有恒氏も、歴史SFとして、邪馬台国北九州説ではあるが、王権が朝鮮半島からわたってきたとする「倭王の末裔」や「倭の女王卑弥呼」「親魏倭王卑弥呼」などの著作を出している。最近、こういう主張を聞かないのは何故?菊のタブー?まさかね。
 僕自身は、上記の本に慣れ親しんでたので、本書の主張については特に違和感はなかったんですが・・・。
 そういえば近江地方に大きな勢力を見ているあたりの記述は、当時立命におられた林屋先生の影響も見て取れますね。

 また、前方後円墳という独特な形式を採用するにいたった契機を本書では、中国の郊祀制度に求めている。後年著者はこの主張を撤回している。また箸墓古墳を卑弥呼の墓とし、後に前方部を付け加えたのではないかとしている。現在箸墓古墳は宮内庁の管轄なので確認することは不可能ではありますが、最近巻向地方には、最初期にあたる前方後円墳がいくつか発見されており、邪馬台国の時代には、この地方にヤマト王権の中心があったということを裏付ける考古学的な知見が増えてきているようではある。但し邪馬台国に対しての議論も少なくなってきているような気もします。
 邪馬台国の時代には、「大人」や「下戸」などの単語が魏志倭人伝の記述にもあるように、すでに階級社会に生まれてきているようであり、市云々との記述からも交易も行われている様子であり、また中国や朝鮮半島の東アジアの情勢とも無縁ではなかった。
 中国、朝鮮半島の動揺が、人の移住を促し、日本列島に稲作などの農耕技術が海を渡って導入され、そしてそれぞれのむらがくにとなっていった。弥生時代は、ヤマト国家が形成されていく画期となった時代であった。
 
 思い起こせば大学を卒業して20年近くの歳月が経っている。いろんなことがあった。しかし大学1回生から2回生にかけての春休み1日1冊のペースで岩波新書などの御三家といわれる新書をむさぼるように読んだ。それが今の僕の元を形作っている。懐かしい思い出である。

※一回目投稿したら、いきなりパスワードが出て内容がすべて消えてしまった。何とか気持ちを奮い起こして再度書き上げた。大変だった。
 

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