●今日の一枚 94●
Frank Sinatra
For Only The Lonely
保守的なエスタブリッシュメントの権化、マイ・ウェイの懐メロおじさん歌手、それが私のフランク・シナトラに対するイメージだった。かつてカウンター・カルチャーにシンパシーを感じていた私は、シナトラなど一度も聴いたことがなかったのに、勝手にそういうイメージをもっていたわけだ。
親近感を持ったきっかけは、私の大好きなMy one And Only Love という曲に関するエピソードからだった。誰も見向きもしなかったこの曲は、シナトラが見出してレコーディングしなければ、これほど世に知られることはなかっただろうという話だ。知ったのは、つい2~3年前のことだ。
考えてみれば、シナトラも初めから成功者だったわけではなく、そこにはチャレンジと挫折があったはずだ。1940年代までに10代の女性のアイドルとしての人気を決定的なものにしたシナトラも、40年代後半から50年代初頭までは、喉の病気による不遇の時代があった。幸運にも映画の脇役に抜擢されて、奇跡的なカムバックと果たしたのは1953年のことだった。芸能人としては格落ちの脇役であったにも関わらず、シナトラは軍隊内の虐待で惨めに死んで行く兵士を熱演してチャンスをものにしたのだった。一方で彼は、発声法を研究し、自然で情感溢れる曲解釈などジャズボーカルの新しいスタイルを作り出していった。マイクの特性を研究してその使い方を工夫し、またマイクをスタンドからはずして、声量をコントロールするなどの技術を最初に試みたのも彼だったという。これはマイクを楽器として考えるということであり、当時としてはかなり斬新な発想だったのではないか。他のブログで知ったのだが、アヴァンギャルド音楽家のジョン・ゾーンはかつて、「フランク・シナトラはある意味でチャーリー・パーカーに匹敵するほどのジャズ・インプロヴァイザーである」と評したこともあるのだそうだ。
否定的な先入観を取り払って耳を澄ませば、そこには素晴らしい音楽があった。1958年録音の『オンリー・ザ・ロンリー』。薄暗い闇の中から孤独の煙がひっそりと昇ってくるような音楽である。単なるセンチメンタリズムという枠ではとらえきれないような、根源的ともいえる孤独の匂いが確かに感じ取れる。例えば、② Angel Eyes 、⑥ Good-bye の孤独感は一体何だ。金満歌手のやっつけ仕事などでは決してない。血をにじませ、身を削り生み出した音楽としか思えない。解説の三具保夫氏が記すように「破滅の淵を垣間見る旋律のアルバム」というべきであろう。
若き日、そして恐らくは年老いてからも、シナトラは音楽と格闘し、孤独な戦いを続けていたに違いない。