WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

黒い空間

2010年05月11日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 266●

浅川マキ

黒い空間

~大晦日公演 文芸座ル・ピリエ 1992~

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 浅川マキが死んだのは、今年(2010年)の1月17日だった。ライブのために名古屋に滞在中、ホテルの浴室で死亡しているのを発見されたという。"アンダーグラウンド"と"アングラ"を混同してはならないと主張し、「時代に合わせて呼吸をする積りはない」と語ったという浅川マキらしい死に方だ。高校生の頃、私の街で浅川マキのLIVEがあることを地元紙で知ったが、青臭いロック少年の私はその特異な存在感を十分に理解できず、結局まだ若い彼女の歌声に接する機会を逃してしまった。私が浅川マキの音楽にやっと何かひっかかりを感じるようになったのは30歳近くになってからだった。

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 浅川マキのLIVEアルバム『黒い空間』。1992年の大晦日に文芸座ル・ピリで行われた公演の実況録音に1994年に新録された2曲を加えた作品である。浅川マキのアルバムの多くは廃盤になっており、このアルバムも永らく廃盤扱いで中古市場では高値がついていたようだが、浅川の死のため復刻されたのだろうか、HMVのwebでこのアルバムを発見、早速買い求めてみた次第である。

 初期浅川の作品しか知らなかった私にとってはちょっと意外だったが、サウンドがジャズっぽい、というかジャズである。渋谷毅・川端民生・植松孝夫らバックのプレーヤーもなかなかに好調である。特に渋谷毅の美しく、狂おしいピアノは特筆ものである。しかし、闇の中から立ち上ってくるようなその歌声は、まぎれもなく浅川マキのあの特異な世界である。「しかし、ここには60年代から70年代にかけての《新宿》が、残像のように立ち上がる」とは、広瀬陽一氏の言であるが(Beat Sound No.3-2004)、かつての新宿の雑多で混沌とした雰囲気がアンダーグラウンドを標榜する浅川マキの世界の背後にあるということだろうか。

 1980年代初期に渋谷で青春時代をおくった私は、新宿の《汚い》雰囲気がどうしても好きになれなかった。けれども同時に公園通りの《きれいな》文化にも同化できず、道玄坂界隈の《混沌とした》文化にシンパシーを感じてしまう私にとって、浅川マキの音楽はアンビバレントで複雑な感情を湧きおこす存在である。それは、《雑多》や《混沌》への憧れと嫌悪であり、上の世代に対する共感と否認のような気がする。

 ところで、音がいい。終生、作品の音質にこだわり続けたという浅川にしてみれば当然の事なのであろう。しかし、エコー処理された「きれいな音」にはやはり違和感がある。浅川マキの音楽には、もっとざらざらとし、ごつごつとした手ざわりの音がふさわしいように感じるのだが、それは浅川マキの世界をあまりに固定的にとらえすぎる感想だろうか。