WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

『菊と刀』と農地改革

2021年08月22日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 536◎
The Beach Boys
In Concert
 大学に入学して間もないころ、何という科目かは忘れたが、『菊と刀』を読んでレポートを提出するようを求められ、当惑したことがあった。時間はかかったが、悪戦苦闘して何とか読むことはできた。しかし、ほとんど高校生と変わらない、入学したばかりの私に分析や検討などできるはずもなく、なるほどそういうものかとただ納得するばかりだった。昨日から読んでいる池上彰・佐藤優『真説・日本左翼史 戦後左派の源流1945-1960』(講談社現代新書)という本に、『菊と刀』と農地改革についての興味深い指摘があったので記しておこうと思う。
 周知のように、『菊と刀』は、第二次大戦中に日本文化や日本人特有の気質について解明することを求められた文化人類学者のルース・ベネディクトが提出した、「日本人の行動パターン」というレポートがもとになっており、米軍はこのレポートを対日作戦や捕虜の扱いだけでなく、戦後のGHQの占領政策にも参考にした。
 ところで、ベネディクトがこのレポートを作成するにあたって、日系アメリカ人たちにヒアリングしたが協力を得られないことが多かったという。当時の日系アメリカ人は第一世代だったため、祖国への思いから協力には消極的だったのだ。そんな中で、積極的に協力したのがアメリカ共産党に所属する日系アメリカ人だった。アメリカ共産党は、第二次世界大戦をファシズムとの闘いと位置付けていたので、ルーズベルト大統領に積極的に協力したのだ。その結果、ベネディクトの作成したレポートには、アメリカ共産党のバイアスがかかることになる。当時、アメリカ共産党は日本共産党の「32年テーゼ」を共有しており、この結果、ベネディクトのレポートには、日本共産党の「32年テーゼ」が、もっとはっきりいえば、《講座派》的な考え方が色濃く影響することになったという。
 周知のように、《講座派》とは、日本資本主義論争で《労農派》と対立した一派である。《労農派》が、明治維新を不完全ではあるがブルジョワ革命と位置づけ、日本には資本主義が成立しているとしたのに対して、《講座派》は、ブルジョワ革命がおこっていない特殊な国であると考え、日本をまず資本主義国にしてから社会主義革命をおこすのだという「二段階革命論」を唱えていたのである。
 戦後の農地改革は、193万ヘクタールの農地を地主から強制的に買い上げ、小作人にただ同然で譲渡し、日本の農家の大半を自作農に転換した政策である。日本の土地制度が江戸時代さながらの封建的なものであり、少数の地主が多数の小作人を農奴として搾取しているという《講座派》的問題意識がなければありえなかった政策だというのである。納得のいく説明だと思う。

 今日の一枚は、ビーチ・ボーイズの1973年リリース盤『イン・コンサート』である。
ブライアン・ウイルソン不在時のライブアルバムだが、ビーチ・ボーイズ最良の最良のアルバムといわれているらしい。ディストーションを付けない、キラキラしギターの響きが好ましい。軽快なノリがいい。軽快だが、決して軽薄ではない。乾いた悲哀の感覚がビーチ・ボーイズの持ち味なのだ。Leaving This Townに聴き入ってしまった。20曲、1時間14分のライブアルバムを通して聴くなど、ここ数年なかったことだ。入院中という特殊な状況でなければ、できなかったことだと思う。

イヤーパットを変えてみた

2021年08月22日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 535◎
Phil Woods
Warm Woods
 入院中ということで、iPhoneにステレオイヤホンをつないで音楽を聴いている。少しでもいい音で聴こうと、前回の入院の際、病院のコンビニで一番高いやつを買った。といっても、1500円程度のものだが。tamaというメーカーのものだ。音質はいいのか悪いのかわからない。ほとんどイヤホンなど使ったことがなかったので、比較しようがないのだ。モニタースピーカーと比べるわけにはいけない。ただ、いくらなんでも音がスカスカすぎやしないか。ちょっと前に、耳に入りやすいようにと、付属のイヤーパット(イヤーチップともいうらしい)のうち一番小さなものに変えていたのだ。もしかしてこの付属のイヤーチップを変えれば音質が変わるかもしれないと思い立ち、思い切って一番大きいものと交換してみた。あら不思議、これまでより低音が出てきて、ちょっとはマシになった。イヤーパットは耳の大きさやフィット感だけでなく、音質にも関わりがるようだ。追求するつもりはないが、材質や形状にもこだわればもっといい音がでるのかもしれない。

 今日の一枚は、フィル・ウッズの1957年録音盤『ウォーム・ウッズ』である。原曲を生かしたストレートなメロディーラインと流麗なアドリブである。タイトル通り、くつろいだウォームな演奏である。病院の退屈な日曜の午前中には好ましい。うってつけである。心が穏やかになってゆく。しかし、流麗でウォームな演奏の中に時折垣間見える直情的なトーンは、さすがビリー・ジョエルの「素顔のままで」の魅惑的な間奏のソロを吹いた人だ、と思わせるに十分である。フィル・ウッズは、ずっと以前から知っているが、「素顔のままで」のソロを吹いたのが彼だということを知ってから、どうもそれと重ねて聴いてしまう。とても、いい作品だけに、本当はちゃんとしたステレオ装置で聴きたい一枚である。