WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

アビー・ロード2019MIX

2021年08月06日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 530◎
The Beatles
Abbey Road
(2019MIX)

 入院中の病院のコンビニでステレオイヤホンを買った。1500円程の、そこにあったうちの一番高いやつだ。多摩電子のASH58GO2というイヤホンである。音がいいかどうかはわからない。金色だったので、音が良さそうに感じただけだ。

 本来イヤホンには興味はない。音楽はスピーカーで聴くものだと頑なに信じている。ただ、入院中、少しでもいい音で聴きたいと思ったのだ。
 きっかけは、病室のベッドでアップルミュージックをいじっていて、アビー・ロード2019MIXというものを発見したことだ。リミックスというのは、巷に出回るリマスタリングとは違う。ミックスダウンをやり直すということだ。しかも、ドルビーatmos、ハイレゾ・ロスレス、アップル・デジタル・マスターの音源である。ちょっと、気にはなる。たまたま入院中で退屈なので、少しでもいいイヤホンで聴いてみようという気になったのである。
 実際には、聴き比べてみないと何とも言えないのであるが、確かに音域が広がって立体的になった気はする。サウンド全体が近くなり、特にボーカルのハモリの部分が厚みを増した気もする。「ヘイ・ダーリン」の途中で後ろの方から声がしてビックリした。看護師が呼んでいるのかと思って、イヤホンを外した程である。今まで気付かなかった音も聞こえるようである。
 ベッドに横たわりながら、全編を通して聴いた。なかなか充実した時間だった。入院中の時間を有意義に使えた気がする。
 ただ、成長過程で聴いたサウンドに対しては、私は保守的になるようだ。この音源は確かに面白いが、このアルバムを本当に聴きたいとき、おそらく私はLPで聴くだろう。より手軽に聴きたい場合でも、ビートルズボックスの中の一枚を聴くと思う。

世界のベスト4、決勝にいくか

2021年08月06日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 529◎
The Beatles
Let It Be

 オリンピック、女子バスケの話である。快挙である。世界のベスト4なのだ。いよいよ今日、フランスとの準決勝だ。今日はNHKでも生放送するようだ。当然である。これを生放送しなければ、受信料など払いたくない。入院中で時間はたっぷりあるが、病院の消灯後だ。まあ大目に見てくれるだろう。楽しみで仕方ない。
 ベルギーとの準々決勝は奇跡的勝利だった。感動の嵐だった。しかし、翻って考えれば、マスコミ的に注目された男子より、世界の中での評価は高かったのであり、これまでのオリンピックでも活躍してきたのである。
 今日のフランス戦、もちろんどうなるかわからない。予選では勝ったが、どっちに転んでもおかしくないゲームだった。強豪フランスは、もちろん修正して来るだろう。その意味では、勝つためのゲームプランを明かしてしまった日本がむしろ劣勢かも知れない。ただ、競る力があることは間違いない。もう一度、接戦に持ち込むことができれば、バスケットは何が起こるかわからない。決勝に進出する現実的なチャンスはあるのだ。
 日本のバスケットが決勝の舞台に立つ姿を見たいものだ。

 今日の一枚は、ザ・ビートルズの『レット・イット・ビー』である。1970年リリース。ビートルズ解散後に発売されたアルバムである。よく知られているように、発表としてはこのアルバムが最後であるが、録音としては『アビィ・ロード』が最後である。
 今日は朝の4時から、アップルミュージックでこのアルバムを聴いた。入院していなければ、このアルバムを通して聴くことなど思いつかなかったかも知れない。入院していると、昼間眠ってしまうことも多く、夜眠れなかったり、早起きしたりするのだ。
 さて、『レット・イット・ビー』である。同名映像が、解散前のグループが空中分解する様子を映し出したことから、昔から評論家筋からの評判の悪い作品だったが、それは予定調和的な見方に過ぎない。私はずっと好きな作品だった。個々の楽曲の生々しさや、演奏の完成度の高さは、批判的に論じられるべきものではなかろう。グループはバラバラで反目し合っていても、音楽を作るその行為において、彼らは集中するのである。
 ビートルズは、やるときゃやるのである。


さようなら、困ったちゃん

2021年08月05日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 528◎
Tommy Flanagan
Overseas

 《困ったちゃん》が転院していった。数日前に記した、頻繁にナースコールをして看護師を困らせていた同じ病室の人である(→こちら)。
 看護師の他にも多くの人を困らせているようだった。リハビリがちょっときついと、もうリハビリはやらない、リハビリ担当を変えてくれ、あいつは態度が悪い、と騒ぎだす始末だった。担当医がわざわざ来て、治す気があるならきちんと取り組むよう説得しても、今度はその都度理由をつけてキャンセルするようになった。
 数日前から、担当医師が来て転院するよう説得、というより通告していた。彼はもともと他の病院にいたが、治療の目的でこの病院に一時的に転院したらしかった。この病院での治療が終わったので、元の病院に帰らなければならないという。彼はものすごい勢いで抵抗した。あの病院は、人を人間扱いしないといい、たくさんの具体的事例をあげた。実際、前の病院では彼にいくつかの禁止事項が設定されていたようだ。それはもちろん、彼が多くのルール違反を犯して周囲に迷惑をかけていたことが原因だったらしい。しかし、彼は自分に対する扱いに反発を強め、暴れたり、人を殴ったりしたようだった。
 今朝、元の病院に戻るようにという医師からの最後の通告に、彼は「絶対戻りません」「あの病院に戻るなら、ここで息を止めて死にます」とまでいった。しかし、もう決まっている、ご家族も了解して今日迎えに来る、前の病院からももうすぐ迎えに来る、などの話を聞いて、結局観念したようだった。転院の支度をしながら、彼は看護師に前の病院がいかに酷いところがを力説し、この病院は良かったなあと語った。そして、10時過ぎにひっそりと転院していった。
 彼の落ち度や問題点はかなり大きいと思う。けれども、やはり病人は社会的弱者なのだと改めて思った。病人、障がい者、子ども、老人、当然のことながら、上野千鶴子先生はここに女性も付け加えるだろう。みんな社会的弱者である。誰もがいつか、社会的弱者になる。

 今日の一枚はトミー・フラナガンほ1957年作品、『オーバー・シーズ』である。ピアノトリオの名盤である。今日も入院中ということでアップルミュージックで聴いた。学生時代、渋谷の音楽館でよくかかっていた。本当にしばらくぶりに聴いた。ザ・ピアノトリオ、ザ・昔のジャズ喫茶の音楽という感じだ。
 眺めの良い5階の面会室で、病院のコンビニの100円のコーヒーをすすりながら、安いベッドホンでこのアルバムを聴いた。窓の外には、仙台の夕暮れの風景が広がっている。
 さようなら、困ったちゃん。




全身麻酔の目覚め

2021年08月05日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 527◎
Bill Evans
further Conversations With Myself
 入院7日目、手術して3日目である。傷口はまだ痛み、咳をするのもつらいが、それでもだいぶ良くなった。今日からは、病気内のコンビニまで歩くことも解禁である。
 ところで、先日記した全身麻酔について(→こちら)、その覚め方を書きとめておきたい。思い起こしてもよくわからないのである。
 全身麻酔でいつどのように眠りについたかは記憶がない。眠っている間についても記憶がない。時間の感覚もない。だから、眠っている時間については、0分という感覚だ。
 起きた時の記憶はある。誰かから声をかけられて目を開けたのだ。手術室のライトを見た記憶がある。その後記憶は途絶える。記憶にあるのは、天井が流れている映像だ。おそらく、ストレッチャーで移動したのだろう。次の記憶は、病室のベッドの上である。看護師が数人いたので、もしかしたら病室に着いて時間がたっていなかったのかも知れない。ストレッチャーから病室のベッドにどうやって移ったのか全く記憶がない。それ以降はずっと記憶がある気がする。気がするというのは、確信が持てないからだ。同じ病室という空間にいたことで、持続した記憶があると誤解しているだけかもしれない。
 意識や記憶というものは、不確かなものである。けれども、その不確かな意識や記憶に立脚しているのが人間というものであり、その人間によって構成されているのが世界であり、現実というものだといえよう。全身麻酔という経験によって、現象学について改めて考えさせられた。とりわけ、意識と時間という問題、また世界というものが、記憶や意識によって成り立っている脆いものであることも改めて考えさせられた。

 今日の一枚は、ビル・エヴァンスの1967年録音盤、『続・自己との対話』である。入院中ということで、今日もアップルミュージックで聴いている。ピアノ2台の多重録音によるインタープレイが展開される。取り上げられた楽曲も、親しみやすいものが多く、その意味でも聴きやすい。《いそしぎ》は好きな曲だ。ポップにもリズミックにも味付けできるこの曲を、エヴァンスはあくまでシリアスにそして想像的に演奏していく。王道である。



おしっこがしたい!

2021年08月04日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 526◎
Bill Evans
Conversations With Myself

 昨日は、手術の後、一日中安静にしていなければならなかった。開腹した傷の痛みもさることながら、最も苦しかったのは導尿だった。尿道に管を差し込んで尿を出すのだ。痛い訳ではない。激しい尿意を感じるのだ。尿意を感じるのだが、出ないのだ。もちろん、勝手に尿は流れ出ているのだが、おしっこをした感じにならない。激しい尿意だけが続き、膀胱が爆発しそうだった。はっきりいって地獄だった。チューブは次の日の朝抜くというが、どう考えてもそんなにもつわけがない。精神は、ズタボロだった。
 2時間程のたうち回ったが、ベッドを少し起こして水を飲めるようになるなると、不思議とあの激しい尿意がひいていった。水をたくさん飲むと、尿意はどんどんひいてゆき、何とか朝までしのぐことができた。水を飲むと尿意がおさまることをなぜ誰も教えてくれなかったのだろう?

 今日の一枚は、ビル・エヴァンスの1963年作品、『自己との対話』である。3台のピアノによる、エヴァンスの自己との対話である。3台のピアノを弾くといっても構成的な演奏にならず、創造的なインタープレイが展開される。その意味では、内省的で実験的な作品である。リヴァーサイドの4部作でインタープレイの手法を確立した自信と、盟友スコット・ラファロを交通事故で失った悲しみと不安が、エヴァンスを自己との対話に向かわせたのであろう。
 今、私は病院のベッドで、ゆったりした心持ちでこのアルバムを聴いている。実験的な、あるいはちょっと難しそうな作品を聴くときは、細部にこだわらず全体的なイメージを聴く。これが私のやり方である。


 


全身麻酔で時間が消えた!

2021年08月03日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 525◎
Tom Waits & Crystal Gayle
One From The Heart

 開腹手術をした。全身麻酔である。初めてである。すごい。私の人生の時間の一部が、きれいさっぱり消え去ってしまった気分だ。
 麻酔は点滴で入れた。手術台に寝て何か話しているうちに眠ってしまったようだ。いつどのように眠りに着いたかわからない。眠りに着く過程も全く記憶にない。名前を呼ばれて目を覚ますと、もうすべて終わったとの事だった。この間、時間の感覚はまったくない。数分あるいは数秒間眠ってしまったら、もうすべて終わっていたのだ。実際には2〜3時間あったようだ。
 私の人生の時間が消え去ってしまったという感覚だ。

 今日の一枚は、トム・ウェイツとクリスタル・ゲイルの『ワン・フロム・ざ・ハート』である。1982年作品、映画のサウンドトラックである。
 大学生の頃、同郷の、学生としてはやや高価なオーディオセットをもっている友人の下宿でこのアルバムのLPを聴いた。内容もさることながら、冒頭のコインが転がる音が実に印象的だった。ところが、自分の下宿帰って聴いてみると、その頃の私の、チープなステレオセットでは、その鮮度のいい音はでなかった。
 後年、高価ではないがそれなりのステレオを手に入れた私は、このアルバムを聴いてみよう思ったこだが、タイトルを忘れてしまっていた。
 今回の入院でアップルミュージックをいじっていて、偶然にもこのアルバムに再会することになったのである。今、傷口の痛みに耐えながら、およそ40年ぶりに、『ワン・フロム・ざ・ハート』を聴いている。
 今夜は、眠れそうもない。


バスケ女子日本代表が決勝Tへ

2021年08月02日 | 今日の一枚(K-L)
◎今日の一枚 524◎
小関佳宏
久石譲ギター・ソロ・アレン
 明日の手術を前に、いろいろな説明を受けた。お陰で、バスケ女子日本代表のナイジェリア戦の主要部分を見ることが出来なかった。接戦だった序盤は見たが、帰ってくるとすでに20点以上リードしていた。
 それにしても見事だ。ディフェンスの連携ミスがやや目立つが、長身プレーヤーの渡嘉敷を欠き、サイズでの圧倒的な劣勢を、インサイドプレーヤーの身体を張った守りと、アウトサイドプレーヤーのタイトなディフェンス、そして驚異的な3点シュートで対抗していく。オフェンスにおける連携プレーも随所に見られ、この点は男子チームと対照的である。応援したくなるバスケットである。
 次のゲームは明後日のようだ。手術後の回復が順調であれば、見れるかもしれない。

 今日の一枚は、仙台出身のクラシックギタリスト、小関佳宏の2014年作品、『久石譲ギター・ソロ・アレンジ』である。知らない人だった。入院という状況が無ければ、聴くことも無かったかもしれない。ベッドの上でアップルミュージックをいじっていて目に止まったのだった。
 このアルバムが目に止まったのは、最近またギターを弾くようになったからだ。意外なことだが、ガットギターの音色に魅了されている。若い頃はエレクトリックギターなどスチール弦一辺倒で、ナイロン弦など眼中になかったが、最近はクラシックギター、といっても例のジャパニーズ・ビンテージのダイナミックギターにナイロン弦を張って弾いている。ソロギターを弾くのだ。ソロギターで1番弦を単音で弾く場合、スチール弦だと響きが貧相に思える。やはり、ナイロン弦の優しくふくよかな響きがいい。
 小関という人のこのアルバムには、ナイロン弦の魅力がいっぱいに詰まっている。美しく、表現力豊かな響きである。こんなに豊かな音が出るのかと感嘆することもしばしばである。
 退院したら、新しいガットギターを手に入れたいものだ。



バスケ男子日本代表敗れる

2021年08月02日 | 今日の一枚(K-L)
◎今日の一枚 523◎
Keith Jarrett & Charlie Haden
Last Dance
  入院4日目である。明日はいよいよ検査のための開腹手術である。今日はいろいろと手術前の予定があるようだ。初めて身体にメスを入れるので、もちろん恐怖感はある。
 昨日、オリンピックのバスケ日本代表のゲームを見た。史上最強の代表といわれ、強化試合でも期待される結果を残していたので、一勝もできなかったのはやはり残念だ。
 全体としては、やはり、まだチームになっていない。バスケットになっていないのだと思った。突出した実力と自信をもつ八村、渡辺のNBA組が、個人能力で突撃と自爆を繰り返した。バスケットに向かおうとする姿勢は素晴らしいと思うが、それはやはりスタンドプレーなのだ。ボールが回らず、そこでボールが止まってしまった。
 相手のアルゼンチンのシュート力は凄かった。長身プレーヤーが次々とスリーポイントを決めた。これが、本気の世界レベルなのだと思った。富樫選手のサイズではまったく歯が立たなかった。すでにマッチアップしたそのままの状態でフリーなのだ。その意味では、HCのフリオ・ラマスの目指したサイズの大型化の方向性は正しいといえるのだろう。であれば、なぜ田中選手をガードにコンバートしたにもかかわらず、実際の試合で富樫選手のプレータイムを伸ばしたのか疑問が残る。
 オフェンスのシステムの中で個の力を発揮させるとともに、ディフェンスでは女子の代表のように、前からプレッシャーをかけるバスケットが見たかった。

 今日の一枚は、キース・ジャレットとチャーリー・ヘイデンの『ラスト・ダンス』でる。『ジャスミン』の続編のようだ。発表は2014年だが、録音は2007年だ。
 チャーリー・ヘイデンは、1990年代以降、優れたデュオアルバムを数多く録音したが、この作品もその一枚である。チャーリー・ヘイデンは、演奏の方向性を示し、コンセプトを明示するが、演奏ではあくまで脇役に徹してサウンドを支え、メインの演奏者の個性を引き出している。このアルバムでも、楽曲のイメージを抽出し、歌心溢れるアドリブに変換するキースの個性が全開である。とても聴きやすく、手術前のちょっとだけ不安な心を優しく包むような一枚である。