筑紫哲也氏死去=記者出身の民放キャスター-番組でがん告白(時事通信) - goo ニュース
「News 23」のキャスターを長い間務めた筑紫哲也さん(73歳)がお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りします。 合掌
死因は肺がんだとの事。そういえば昨年「肺がんを告白」され入院加療のため番組を降板されましたね。
筑紫さんは亡くなりましたが久米宏さんは「報道ステーション」を降板、田原総一郎さんは「サンプロ」で活躍中です。いずれの皆さんも報道姿勢について「毀誉褒貶」がついてまわります。
筑紫哲也さんについても「報道界の男芸者」との厳しい意見も聞かれました。
多分基本的にやや左派の視点をお持ちな方のはずなのに「取り上げる案件により右にぶれる」と言う事なのでしょう。
まあ何とも微妙な問題ですよね。
残念ながら爺は「夜の11時過ぎからTVを見るという生活習慣がここ10年ほどありませんから滅多に筑紫さんのnews21を見た事がありません」
一寸思う事はニュースキャスターとすれば出された原稿を間違えなく読むのが仕事ではありませんから「ある程度の思想的あるいは政治的立場がはっきりしていないと面白くありません」とは言いながらTV局の経営陣の意向(政府よりとか反政府より見たいな)とその番組に対するスポンサーのご意向を無視できません。その上で視聴率が10数%を維持できないと長寿番組にならないのですから大変気を使う仕事ですよね。
漫才でしたか「赤(旗)上げる、赤下げないで白(旗)上げる。白下げないで赤下げない」見たいな芸当を毎日やるわけですよね。
そうなるとTVキャスターのお仕事は「仕事と割り切って仕切らないとやっていられない」でしょうね。爺ならそう感じます。
自分の本音とか素の部分は「稼ぎを貯めて自分で組織したグループの中で話をする」しかないでしょうね。
筑紫さんの評価はこれから決まるわけです。どれが本当の姿でしたでしょうか。
謹んでご冥福をお祈りします。
時事通信:
ジャーナリストでニュースキャスターの筑紫哲也(ちくし・てつや)氏が7日午後、肺がんのため東京都内の病院で死去した。73歳だった。大分県出身。葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。
1959年に早稲田大政治経済学部を卒業、同年朝日新聞社に入社し、政治部記者や米軍統治下の沖縄特派員、ワシントン特派員などを歴任。週刊誌「朝日ジャーナル」編集長を務め、「新人類」「元気印」などの流行語を生んだ。
編集委員に就任後の89年に退社し、同年10月からTBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」キャスターに。日々のニュースを鋭い視点で掘り下げるとともに、イラク戦争直前には同国入りするなど現場取材を続け、民放キャスターの代表的存在となった。2007年5月14日、同番組内で初期肺がんであることを告白していた。(引用終り)
「News 23」のキャスターを長い間務めた筑紫哲也さん(73歳)がお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りします。 合掌
死因は肺がんだとの事。そういえば昨年「肺がんを告白」され入院加療のため番組を降板されましたね。
筑紫さんは亡くなりましたが久米宏さんは「報道ステーション」を降板、田原総一郎さんは「サンプロ」で活躍中です。いずれの皆さんも報道姿勢について「毀誉褒貶」がついてまわります。
筑紫哲也さんについても「報道界の男芸者」との厳しい意見も聞かれました。
多分基本的にやや左派の視点をお持ちな方のはずなのに「取り上げる案件により右にぶれる」と言う事なのでしょう。
まあ何とも微妙な問題ですよね。
残念ながら爺は「夜の11時過ぎからTVを見るという生活習慣がここ10年ほどありませんから滅多に筑紫さんのnews21を見た事がありません」
一寸思う事はニュースキャスターとすれば出された原稿を間違えなく読むのが仕事ではありませんから「ある程度の思想的あるいは政治的立場がはっきりしていないと面白くありません」とは言いながらTV局の経営陣の意向(政府よりとか反政府より見たいな)とその番組に対するスポンサーのご意向を無視できません。その上で視聴率が10数%を維持できないと長寿番組にならないのですから大変気を使う仕事ですよね。
漫才でしたか「赤(旗)上げる、赤下げないで白(旗)上げる。白下げないで赤下げない」見たいな芸当を毎日やるわけですよね。
そうなるとTVキャスターのお仕事は「仕事と割り切って仕切らないとやっていられない」でしょうね。爺ならそう感じます。
自分の本音とか素の部分は「稼ぎを貯めて自分で組織したグループの中で話をする」しかないでしょうね。
筑紫さんの評価はこれから決まるわけです。どれが本当の姿でしたでしょうか。
謹んでご冥福をお祈りします。
時事通信:
ジャーナリストでニュースキャスターの筑紫哲也(ちくし・てつや)氏が7日午後、肺がんのため東京都内の病院で死去した。73歳だった。大分県出身。葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。
1959年に早稲田大政治経済学部を卒業、同年朝日新聞社に入社し、政治部記者や米軍統治下の沖縄特派員、ワシントン特派員などを歴任。週刊誌「朝日ジャーナル」編集長を務め、「新人類」「元気印」などの流行語を生んだ。
編集委員に就任後の89年に退社し、同年10月からTBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」キャスターに。日々のニュースを鋭い視点で掘り下げるとともに、イラク戦争直前には同国入りするなど現場取材を続け、民放キャスターの代表的存在となった。2007年5月14日、同番組内で初期肺がんであることを告白していた。(引用終り)