王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

名古屋トリプル投票 河村・大村氏当選と市議会解散確実

2011-02-06 20:27:50 | 政治
名古屋トリプル投票 河村・大村氏当選と市議会解散確実(朝日新聞) - goo ニュース

先ほど8時NHKの「江」に場面が切り替わって数秒ニュース速報の白いテロップが流れ「愛知県知事大村氏当確」と続いて「名古屋市長河村氏当確」と報じられた。
正に秒殺の選挙戦であったようだ。
続いて「名古屋市議会解散確実」も付け足された。

開票は8時45分からとか聞いたから「NHKの出口調査」とやらで圧倒的な回答を得ていたのだろう?!

「江」が始まって信長の最後のシーンを見てからネットのウェブニースを見たら8時7分の掲載でこの朝日のニュースが乗っていた。予定原稿が効を奏した所でしょう。
8時45分のNHKニュースでは「開票はまだ始まっていませんが」との前置きつきで
名古屋市長に河村氏の当確と市議会解散確実と愛知県知事に大村氏当確を映像つきで流した。

明日になれば党派別投票数やその分析が出るだろうが「無党派層」がどの位二人に反応したか興味を覚える。
兎に角この結果には民主党も自民党もまっさおでないかと興味があります。
統一地方選挙に複雑な影響を及ぼすでしょうね。
名古屋市議会の解散選挙の結果も見ものでしょうね。楽しみに見守ります。


朝日新聞:
名古屋市長選、愛知県知事選、名古屋市議会の解散の是非を問う住民投票が6日、投開票された。市長選では地域政党「減税日本」代表の河村たかし氏(62)が再選を果たし、知事選では同党推薦の大村秀章氏(50)が初当選。住民投票は賛成多数で、政令指定市で初めてリコールが成立した。今回のトリプル投票は4月の統一地方選の前哨戦で、支援した候補が惨敗した民主、自民の2大政党には大きな打撃となった。

 河村氏は地域政党「大阪維新の会」代表の大阪府の橋下徹知事と連携しており、4月の大阪府議選や大阪市議選での過半数獲得をめざす橋下知事への追い風となりそうだ。一方、政権運営に行き詰まりを見せている菅首相は厳しい結果を突きつけられた形だ。
(以下省略)
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永田洋子(ひろこ)死刑囚が病死

2011-02-06 08:25:38 | 政治
永田死刑囚が病死=元連合赤軍の最高幹部―脳腫瘍で寝たきり・東京拘置所(時事通信) - goo ニュース

昭和も遠くなってきましたね。
連合赤軍事件から40年も経っていました。
近頃ではさっき思いついて話そうと思っている事柄が今出て来ない位ボケてきています。

あさま山荘事件では銃撃の合間に「クレーンにつけたおおきな鉄球を山荘の壁に打ちつけ突破口を作る警官隊の事を思い出しました」

永田洋子死刑囚は浅間山荘事件の時には逮捕されていたと思いましたが40年収監されていたのですね。
憲法を否定し銃弾から革命を夢見たはずが権力の側に看護され最後を看取られて最期を迎えたとき何をかんがえてのでしょうか?
ここ数年は寝たきりとも聞いていました。
昔西ドイツの赤軍派のリーダーは捕まった後、待遇に抗議するとかで「餓死を遂げましたよね」浜爺も若い頃「こいつは根性あるな!」なんて変な関心をしたのを思い出しました。
一時の気の迷いで仲間に加わって総括死させられたり銃撃戦で死亡した警察官のご冥福をお祈りします。         合掌

時事通信:
 1971年から72年に起きた一連の連合赤軍事件のうち、山岳アジトで仲間を次々と殺害したなどとして殺人や死体遺棄などの罪に問われ、93年に最高裁で死刑が確定した元連合赤軍最高幹部永田洋子死刑囚(65)が5日午後10時6分、多臓器不全のため東京拘置所で死亡した。法務省が6日、発表した。

 永田死刑囚は脳腫瘍と診断され、脳萎縮と誤嚥(ごえん)性肺炎の治療中だった。弁護士によると、寝たきりの状態だったという。

 確定判決によると、永田死刑囚は71年8月、元連合赤軍幹部の坂口弘死刑囚(64)らと共謀し、組織を離脱した2人を絞殺して、千葉県・印旛沼付近の山林に遺棄(印旛沼殺人事件)。同年12月から翌年2月にかけては、群馬県・榛名山などの山岳アジトで「総括」と称し、仲間を暴行して11人を殺害、1人を死亡させ、遺体を山中に埋める(山岳ベース大量リンチ殺人事件)などした。

 連合赤軍は71年、過激な武装革命路線を掲げた共産主義者同盟赤軍派と京浜安保共闘が統合して結成。山岳ベース事件やあさま山荘銃撃事件を起こし、一連の事件でメンバー14人と警官2人、民間人1人が犠牲となった。

 永田死刑囚は、あさま山荘事件が起こる前の72年2月に逮捕された。

 一審東京地裁は82年6月、「共産主義社会の実現を、憲法の許さない銃と爆弾で貫徹しようとした独善的、反社会的な犯行」として死刑を言い渡し、二審東京高裁は86年9月に控訴を棄却。93年に最高裁で確定した。

 2001年7月には再審を申し立てたが、東京地裁が06年11月、棄却を決定。永田死刑囚が東京高裁に即時抗告していた。(引用終わり) 

コメント (4)
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