「おしん横綱」鳴戸親方急死=弟子の大関挑戦目前(時事通信) - goo ニュース
昨日7日鳴戸親方(59)が急性呼吸器不全で死去しました。
鳴戸親方さて?! と思ったら元横綱隆の里だそうです。顔と名前が繋がりましたよ。
それと稀勢の里の親方でもあったそうです。
13日から始まる九州場所に備えて福岡入りしていたそうです。この3-4日体調不良を訴え6日夜の入院から病勢が急変したのでしょう。
鳴戸親方は現役の頃から体を大きくするためインスリン注射をしてまで無理を重ねていたので糖尿病や腎臓病に悩まされていたようです。
稀勢の里の大関挑戦の心構えを語る記者会見で同席した体は150-60キロ有りそうでしたから不摂生といえば不摂生でしたね。
話は跳びますが先月中旬以降週刊誌に「弟子に対する暴行とかインスリン注射を強要」とかで協会の調べも受けていたとか!?
07年夏以降時津風部屋の新弟子暴行死が問題になりそれ以降も春日野部屋でしたか問題になり協会でも新弟子に対するキツイ指導はご法度になっていると思いましたがね。
「おしん横綱」は一世代古い生き方を続けていたように見えます。
その心労とか心痛が急性の引き金とか見方も有ります。如何でしょう?
さて稀勢の里のショックもさる事ながら鳴戸部屋が無くなりますから何処かの部屋に合併・吸収でしょうか? 何だか生臭い話になります。
ご冥福をお祈りします。
時事通信:
糖尿病と闘い、辛抱する姿から「おしん横綱」と呼ばれた元横綱隆の里の鳴戸親方(本名高谷俊英=たかや・としひで)が7日午前、福岡市内の病院で急性呼吸不全のため死去した。59歳だった。
関係者によると、ここ数日は風邪気味で、6日夜になって急に体調が悪化し入院したという。弟子の稀勢の里が大関昇進に挑む九州場所の初日が、13日に迫っていた。
7日夜、福岡市内の斎場で放駒理事長(元大関魁傑)らが遺体と対面し、角界は驚きと悲しみに包まれた。
鳴戸親方は1968年名古屋場所、二子山部屋から初土俵。75年夏場所新入幕。83年名古屋場所後、30歳で59人目の横綱に昇進した。幕内優勝4回(全勝2回)。幕内通算464勝313敗80休。86年初場所で引退し、鳴戸部屋を興して若の里、稀勢の里らを育てた。
(引用終り)
昨日7日鳴戸親方(59)が急性呼吸器不全で死去しました。
鳴戸親方さて?! と思ったら元横綱隆の里だそうです。顔と名前が繋がりましたよ。
それと稀勢の里の親方でもあったそうです。
13日から始まる九州場所に備えて福岡入りしていたそうです。この3-4日体調不良を訴え6日夜の入院から病勢が急変したのでしょう。
鳴戸親方は現役の頃から体を大きくするためインスリン注射をしてまで無理を重ねていたので糖尿病や腎臓病に悩まされていたようです。
稀勢の里の大関挑戦の心構えを語る記者会見で同席した体は150-60キロ有りそうでしたから不摂生といえば不摂生でしたね。
話は跳びますが先月中旬以降週刊誌に「弟子に対する暴行とかインスリン注射を強要」とかで協会の調べも受けていたとか!?
07年夏以降時津風部屋の新弟子暴行死が問題になりそれ以降も春日野部屋でしたか問題になり協会でも新弟子に対するキツイ指導はご法度になっていると思いましたがね。
「おしん横綱」は一世代古い生き方を続けていたように見えます。
その心労とか心痛が急性の引き金とか見方も有ります。如何でしょう?
さて稀勢の里のショックもさる事ながら鳴戸部屋が無くなりますから何処かの部屋に合併・吸収でしょうか? 何だか生臭い話になります。
ご冥福をお祈りします。
時事通信:
糖尿病と闘い、辛抱する姿から「おしん横綱」と呼ばれた元横綱隆の里の鳴戸親方(本名高谷俊英=たかや・としひで)が7日午前、福岡市内の病院で急性呼吸不全のため死去した。59歳だった。
関係者によると、ここ数日は風邪気味で、6日夜になって急に体調が悪化し入院したという。弟子の稀勢の里が大関昇進に挑む九州場所の初日が、13日に迫っていた。
7日夜、福岡市内の斎場で放駒理事長(元大関魁傑)らが遺体と対面し、角界は驚きと悲しみに包まれた。
鳴戸親方は1968年名古屋場所、二子山部屋から初土俵。75年夏場所新入幕。83年名古屋場所後、30歳で59人目の横綱に昇進した。幕内優勝4回(全勝2回)。幕内通算464勝313敗80休。86年初場所で引退し、鳴戸部屋を興して若の里、稀勢の里らを育てた。
(引用終り)