落語家の立川談志さん死去…75歳(読売新聞) - goo ニュース
昨日23日夕刻のTV各局は立川談志師匠の逝去を報じていました。NHKは7時のニュースの冒頭で報じていましたからこの日は大きなニュースが無かったようです。
21日に病院で亡くなられ密葬をすまされたそうです。
享年75歳 謹んでご冥福をお祈りします。
古典落語家としての盛名の割りに浜爺はこの方の落語を聞きまくったとの記憶がありません。
それでも協会の真打制度に反対して破門されて一流を立てたり政治家に成りましたよね。
それは記憶にあります。
97年にがんになり一頃退院の会見で「タバコを吸ってみせ止めても直らない」とか怪気炎? 或いは毒舌を吐いていました。
最近では7代目円楽誕生の席で「先代に毒を盛ったとの噂が有る」と冗談めいた挨拶をしてましたよね。その影響でしょう最近の「笑点」でそのあたりを仲間から指摘され笑いのネタになってます。
昔の落語家には芸の肥やしだとか言って「女遊びをしたり酒を浴びるほど飲んだり落語のネタになりそうな有名人がいました」
それと比べると向けたエネルギーの先が違いますが「世間一般の常識とは違う人生」は落語そのものに見えました。
改めてご冥福をお祈りします。
読売新聞:
人気落語家で元参議院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが、21日、亡くなった。
75歳だった。
1936年、東京都生まれ。52年に五代目柳家小さんさんに入門。小よしの名で前座に。54年に小ゑんで二ツ目、63年に五代目立川談志を襲名して真打ちに昇進した。小ゑん時代から頭角を現し、切れ味のある 啖呵 ( たんか ) と痛烈な毒舌でファンを増やした。同年代の三遊亭円楽さんや古今亭志ん朝さん、春風亭柳朝さんとともに「寄席四天王」と呼ばれて活躍。66年開始の日本テレビ系の演芸番組「笑点」で初代司会者を務め、テレビやラジオ、映画の世界でも売れっ子になった。
71年には参議院全国区に無所属で立候補して当選。自民党に入党し、沖縄開発庁政務次官も務めた。
83年には、弟子の真打ち昇進問題をきっかけに一門とともに落語協会を脱退。「立川流家元」として一派を率い、志の輔さん、談春さんらの人気落語家を育てた。
97年にがんを公表。手術して高座に復帰したが、09年8月末に体調不良から休養を発表。10年4月に再度復帰を果たしたものの、今年4月に当面の休養を発表し、入退院を繰り返しながら闘病を続けていた。
(引用終わり)
昨日23日夕刻のTV各局は立川談志師匠の逝去を報じていました。NHKは7時のニュースの冒頭で報じていましたからこの日は大きなニュースが無かったようです。
21日に病院で亡くなられ密葬をすまされたそうです。
享年75歳 謹んでご冥福をお祈りします。
古典落語家としての盛名の割りに浜爺はこの方の落語を聞きまくったとの記憶がありません。
それでも協会の真打制度に反対して破門されて一流を立てたり政治家に成りましたよね。
それは記憶にあります。
97年にがんになり一頃退院の会見で「タバコを吸ってみせ止めても直らない」とか怪気炎? 或いは毒舌を吐いていました。
最近では7代目円楽誕生の席で「先代に毒を盛ったとの噂が有る」と冗談めいた挨拶をしてましたよね。その影響でしょう最近の「笑点」でそのあたりを仲間から指摘され笑いのネタになってます。
昔の落語家には芸の肥やしだとか言って「女遊びをしたり酒を浴びるほど飲んだり落語のネタになりそうな有名人がいました」
それと比べると向けたエネルギーの先が違いますが「世間一般の常識とは違う人生」は落語そのものに見えました。
改めてご冥福をお祈りします。
読売新聞:
人気落語家で元参議院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが、21日、亡くなった。
75歳だった。
1936年、東京都生まれ。52年に五代目柳家小さんさんに入門。小よしの名で前座に。54年に小ゑんで二ツ目、63年に五代目立川談志を襲名して真打ちに昇進した。小ゑん時代から頭角を現し、切れ味のある 啖呵 ( たんか ) と痛烈な毒舌でファンを増やした。同年代の三遊亭円楽さんや古今亭志ん朝さん、春風亭柳朝さんとともに「寄席四天王」と呼ばれて活躍。66年開始の日本テレビ系の演芸番組「笑点」で初代司会者を務め、テレビやラジオ、映画の世界でも売れっ子になった。
71年には参議院全国区に無所属で立候補して当選。自民党に入党し、沖縄開発庁政務次官も務めた。
83年には、弟子の真打ち昇進問題をきっかけに一門とともに落語協会を脱退。「立川流家元」として一派を率い、志の輔さん、談春さんらの人気落語家を育てた。
97年にがんを公表。手術して高座に復帰したが、09年8月末に体調不良から休養を発表。10年4月に再度復帰を果たしたものの、今年4月に当面の休養を発表し、入退院を繰り返しながら闘病を続けていた。
(引用終わり)