王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

菅原文太さん 逝く !!

2014-12-02 07:53:47 | 芸能
寂しすぎる…菅原文太さん逝く、健さんに続き昭和の巨星が天国へ(サンケイスポーツ) - goo ニュース

昨日1日午後TVを見るともなく見ていたら白いテロップが流れ菅原文太さんが亡くなった事を報じました。
実は11月28日にがんの転移による肝不全で急逝された上、お葬式も家族葬で済んでいた様です。
謹んでご冥福をお祈りします。        合掌。

先月高倉健さんが亡くなって驚いたばかりですが文太さんの急逝にも驚くばかりです。
菅原さんは「仁義なき戦い」で有名になった様ですが健さんに比べると浜爺の関心は「やくざ映画」よ
り別な方面に移っていましたから俳優の文太さんに熱狂的な印象はありません。その後の「トラック野郎
シリーズ」も同様でした。

浜爺の関心は余り映画で名前を聞かなくなった頃、田舎で無農薬農業をやっていると聞いたり、2011年
の東日本大震災を機に「反原発」と思える発言をされているのに驚きました。
映画スターの時代にしっかり稼ぎそれで田園調布あたりに豪邸を構え悠々暮らしていてもどこからも文句のでる筋合いはありません。
この記事で知りましたが1か月前には那覇市で翁長氏(当選)の街頭演説に出ていたそうですから「反自公政権」に対する姿勢は明白でした。
「政治的発言」のみならず「政治的行動」も取っていたのですね!
2007年には「膀胱がん」が発症し完治と公表されていましたが最後はその転移による急性の様でした。
私生活でも大変な時期があった様で心体ともに打撃を受けていた様です。
昭和がまたまたひとつ去って行きました。
重ねてお悔やみを申し上げます。    合掌。


写真:菅原文太氏(サンスポ)

サンケイスポーツ:
健さんに続き文太まで…。映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズで知られる俳優、菅原文太さんが11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため東京都内の病院で死去した。81歳だった。1日、東映が発表した。アウトローを熱く演じ続け、晩年は農業や政治にも積極的に携わった文太さん。11月10日に死去した高倉健さん(享年83)に続き、戦後の映画界を牽引してきた名優が天国へ旅立った。

 健さんに続き、昭和銀幕史の巨星がひっそりとこの世を去っていた。

 文太さんの主演映画を多数手掛けた東映が1日に発表。文太さんは2007年にぼうこうがんを発症し、患部切除と温存療法などで10年に完治と公表していたが、東映によると発症後3カ月に1度受けていた定期検診で、今年11月に転移が判明。同13日に都内の病院に入院し、わずか16日間の“闘病生活”で同28日に息を引き取った。

 前日の30日には福岡・太宰府天満宮祖霊殿で親族のみで家族葬が営まれ、この日、長男の加織さん(享年31)が眠る同県内の寺で納骨を行った。妻でマネジャーの菅原文子(ふみこ)さんは同社を通じ、「恩義ある方々に何の別れも告げずに旅立ちましたことを、おわび申し上げます」とコメントした。

 最近まで元気に仕事をこなしていた。10月26日に、ニッポン放送のレギュラー番組「菅原文太 日本人の底力」(日曜前5・30)の収録に参加。同局によるとゲストに招いた宇宙物理学者との対談がはずみ、当初の予定は1週のみの放送だったが、文太さん自ら「2週に分けて放送するぞ!」と熱望。収録後もゲストと20分ほど科学などの話を続けていたという。

 11月1日には、那覇市内で行われた沖縄県知事選の候補者・翁長(おなが)雄志氏(64)=当選=の支援集会で街頭演説。「弾はまだ1発残っとるがよ」などと出世作「仁義なき戦い」(73年)のセリフを引用するなどして盛り上げた。

 ただ、訃報を受けてこの日、取材に応じた翁長知事によると、「文太さんは車いすを使っていた。『腰を痛めた』と言っていた」。痩せたようにも見え、12月7日に埼玉県内で行う予定だった講演は体調不良を理由に11月21日にキャンセルした。

 220本以上に出演した映画スターだが、実は下積みが長かった。58年に本格デビューし、67年の東映入社後は「網走番外地 吹雪の斗争」(67年)など健さん主演作にも出演。73年に「仁義-」が大ブレークして主演スターとなった後、75年の「神戸国際ギャング」で健さんと本格共演を果たしている。

 義理と人情に厚いトラック運転手をコミカルに演じた75年からの「トラック野郎」シリーズも大ヒット。80年にNHK大河ドラマ「獅子の時代」に主演、01年のアニメ映画「千と千尋の神隠し」では釜爺(かまじい)役の声優を務めた。「朝日ソーラー」のテレビCMでは「朝日ソーラーじゃけん」と、「仁義-」の主人公風の広島弁ゼリフが話題となった。

 私生活では65年に文子さんと結婚し、長男で俳優だった加織さんら1男2女の父に。ただ、01年10月に加織さんを踏切事故で亡くす悲劇もあった。11年の東日本大震災を受けて、12年2月に俳優活動を控える“休業宣言”を発表した。

 お別れの会などの開催は未定。私生活もスターのオーラを放ち謎めいていた健さんに対し、普段はぼくとつとした印象で農業や政治、選挙にも積極的に携わった文太さん。対照的な2人だが、昭和の映画界を彩った大スターがほぼ同時期に亡くなるとは…。

 あまりに寂しすぎる。
(引用終わり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする