王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

大橋巨泉氏 逝去 82歳 !!

2016-07-21 08:22:22 | 芸能
大橋巨泉さん死去 82歳…11PM、クイズダービー がん闘病11年

昨日20日朝から大橋巨泉さんが逝去された事をマスコミ各社が報じました。
奥様の寿々子さんからのファックスが入ったようです。実は12日に千葉の病院で急性呼吸不全のため逝去、享年82歳でした。
謹んでご冥福をお祈りします。          合掌

1965年に始まった「11PM」に司会として登場とあります。ちょうどサラリーマンになって独り立ち、アパートの一室に暮らし始めた頃です。当時はアパートの一室にTVがあるなんて時代でありません、
そして中島弘子さんが体を傾けてーーなんて映像を思い出したら、これは「夢で会いましょう」のそれとか?! 可愛い娘さんが大勢後ろに出ていた場面かも知れません。
朝の勤めが早いのでそんな遅くからTVを見る機会も少なかったのでしょう。

「ゲバゲバ90分」は記憶にあります。 「はっぱふみふみ」のCMもおぼえがあります。
「クイズダービー」「世界丸ごと」なども番組名として覚えがあります。
サラリーマンの仕事と子育てが忙しく子供向け番組中心だったせいでしょう??

01年だそうです民主党から参院選に出て半年で議員辞職。勝手な奴だと思ってから浜爺の関心から消えました。
その前後からがんとの闘病が始まっていたのですね。
たまたま永六輔さんが7月7日に亡くなりました。その関係で昭和期の人気ものとして最近の映像が流れましたが痩せて壮絶な「がん顔」になっていました。まあマスコミのコメンテーターは「驚いた」を連発していましたがはてどんなものでしょう??

永さんと前後して昭和がまた二つ終わってしまいました。
改めてご冥福をお祈りします。


写真:元気なころの映像

スポニチ:
テレビ司会者、放送作家などマルチタレントとして人気を博した大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名・大橋克巳=かつみ)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去した。82歳。東京都出身。

 葬儀・告別式は親族のみで行った。喪主は妻・寿々子(すずこ)さん。後日、しのぶ会を開く予定。

 2005年からがんの手術を繰り返し受けていた巨泉さんは今年4月に都内の病院に入院し、5月からは病院側のすすめで集中治療室に入っていた。6月には20年以上続いた週刊誌の連載が終了していた。

 1934年(昭和9年)生まれ。早大政経学部在学中からジャズコンサートの司会者として活動。のちにジャズ評論家、放送作家と活動の幅をひろげたのがきっかけで、テレビ司会者に。1965年11月スタートの日本テレビ系「11PM」でテレビ司会の世界に進出し、69年10月に始まった同系バラエティー番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」が大ヒット。「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズにパイロット万年筆のテレビCMでの「はっぱふみふみ」のセリフなどは流行語にもなったが、スポーツから競馬、麻雀、社会問題までの教養の広さは、お茶の間に多くのファンがいた。

 70年代にTBS系「クイズダービー」、80年代は同「世界まるごとHOWマッチ」など、司会を務めたクイズ番組が大ヒットしたが、56歳になった90年3月に「セミリタイア」と称して、一部の番組を除いて芸能界の表舞台から身を引いた。その後70年代から経営するギフトショップに携わりながら、オーストラリア、ニュージーランド、カナダに住み、時折日本のメディアにも顔を出していた。

 01年に当時の民主党から立候補し、比例代表で参院議員に。しかし、安全保障問題をめぐり党の方針と対立し、6カ月で辞職。05年に胃がんを患うと13年以降は転移を繰り返し、昨年10月にはがんとみられるリンパ節の除去手術を受けていた。
(引用終わり)





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